昔話(21)-藤原氏と陰陽師と天皇(17)

『藤原兼家』の権力は、
長男『藤原道隆』に引き継がれ、
朝廷随一の実力者になっていました。

そして、
『藤原道隆』は、嫡男『藤原伊周』の
強引な官位引き上げをしました。

そのため、
『藤原伊周』は、段階をえず、
叔父『藤原道長』らを、
一気に飛び越えて、
内大臣に昇進していたので、
苦労・怖いもの知らずで、
周囲を見下していました。

周囲の人々は、反感を持っていましたが、
『藤原道隆』の権勢が強かったので、
黙っていました。

そして、関白『藤原道隆』は、
病気で体力の低下を感じたので、
息子『藤原伊周』に関白の座を、
譲りたいと考えていました。

『一条天皇』は、権力の順番でもある
天皇に奉る文書などを先に見る内覧の順番を、
関白『藤原道隆』の次に『藤原伊周』とするという
勅命を出しました。

すると、
『藤原伊周』は、
「父の関白『藤原道隆』から、
全て自分に任せる。」と聞いていると言って、
抗議したそうです。

この時下された宣命に、
「関白が病気の間」と書かれていました。

『藤原伊周』は、
「関白の父が病気のため辞職するので、
父が病気の間ではなく、
交替して、自分を関白にする。」と
書き換えて欲しいと不満を述べました。

すると、
『藤原伊周』の母の兄『高階信順』が、
宣旨を作成した『中原致時』に、
勅命の改ざんをするように言いましたが、
断られたそうです。

その後、
『藤原伊周』は、倹約令を任されました。

しかし、細かい事が気になる性格のため、
服の裾の長さなど、嫌になる位
細かい事が決められていたので、
不満の声が多く、不人気だったそうです。

そして、『藤原伊周』の後ろ盾の
父『藤原道隆』が死亡しました。

そのため、
『花山天皇』を出家させ、
『藤原兼家』一族に、
権力を集めた功労者で、
『藤原道隆』の弟『藤原道兼』が、
関白になり、その後を継ぎましたが、
すぐ死亡しました。

すると、
『藤原道長』が、突然、頭角を現してきました。(続く)
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