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日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(1)

スパイ(工作員)活動のため、詳細は不明で、
真偽のほども不明ですが、

日露戦争の時、
参謀本部次長『児玉源太郎』に命令され、

スパイ(工作員)『明石元二郎』は、
ロシア帝国で、偽名『アバズレーエフ』と名乗り、

後方かく乱のため、

1904年、ジュネーヴで、
『ウラジーミル・レーニン
(ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)』と会談し、

『ウラジーミル・レーニン』が率いる社会主義運動に、

4百億円以上の機密費を使い、
資金援助することを申し出ました。

当初、
『ウラジーミル・レーニン』は、

「祖国を裏切る行為だ。」と、言って拒否しましたが、

『明石元二郎』は、

「タタール人の君が、

タタールを支配しているロシア人の大首長のロマノフを、
倒すのに日本の力を借りたからといって、

何が裏切りなのだ!」といって説き伏せ、

『ウラジーミル・レーニン』を、
ロシア帝国に、送り込むことに成功しました。

そして、ロシア革命の成功へと、
繋がっていったそうです。

そして、
日露戦争は、日本が勝ちました。

後に『ウラジーミル・レーニン』は、

「日本の『明石元二郎』には、本当に感謝している。
感謝状を出したいほどである。」と、言ったそうです。

日露戦争後、
陸軍参謀本部参謀次長『長岡外史』は、

『明石元二郎』の活躍は、陸軍10個師団に相当する。」と、
言ったそうです。

また、
プロイセン国王 ・ドイツ皇帝『ヴィルヘルム2世』は、

「『明石元二郎』は、
日本軍20万人に匹敵する成果を挙げた」と、
言ったそうです。

ちなみに、
『ウラジーミル・レーニン』らが、

ロシア革命により、 ロシア帝国は滅び、
1917年11月7日、ロシア十月革命で、
ソビエト政権が、樹立されました。

ちなみに、11月7日は、ロシア革命記念日です。

ちなみに、現在、日本も含めて、
年月を示すには、グレゴリオ暦を使用していますが、

当時のロシアは、ユリウス暦を使用していました。

11月7日に起きたのに、

十月革命と言うのは、

現在使われているグレゴリオ暦11月7日が、

ユリウス暦で言うと、10月25日になるからです。

そして、
1922年12月30日、
ソビエト連邦を、成立させました。

『明石元二郎』のロシア革命工作は、

スパイ(工作員)活動のモデルケースとして、

日本のスパイ(工作員)養成学校の、
陸軍中野学校で、講義されたそうです。

ちなみに、
第二次世界大戦後、
陸軍中野学校は、廃校になったので、

日本は、情報戦略に関しては、脆弱になりました。

ちなみに、
『明石元二郎』が、ヨーロッパ赴任中、

あるパーティ会場で、
ドイツとロシア帝国の士官が、いました。

ドイツの士官が、

『明石元二郎』に、フランス語で、

「あなたは、ドイツ語ができますか?」と、
聞いてきたそうです。

すると、
『明石元二郎』は、

「外国語は苦手で、

フランス語が、やっとです。」と、

わざと、たどたどしいフランス語で、答えました。

すると、そのドイツの士官は、

『明石元二郎』を、完全無視し、

ドイツ語で、ロシア帝国の士官と重要な機密について、
話し始めたそうです。

しかし、実は、『明石元二郎』は、語学が得意で、

ドイツ語、フランス語、ロシア語、英語を、

完璧に理解していたので、

その機密事項を、入手したそうです。

そして、
日本のスパイ(工作員)たちの活躍などにより、

世界中のマスコミを、政府レベルで、

日本の味方にしたと、言われています。

ちなみに、
『児玉源太郎』、『明石元二郎』は、
国家に身を捧げる気持ちがあったので、

いくらでも、ごまかしのきく、機密費を、
4百億円以上使ったのですが、

自分の懐には、1円も着服しませんでした。

そして、日露戦争の後半が、

日本の連戦連勝となっていたのは、

ロシア帝国の諜報機関を、多額の機密費を使用し、

丸ごと買収するのに成功し、

すべての情報が、
筒抜けになったからだと、言われています。

本来は、税金の機密費は、そのように使うものです。

ちなみに、
『明石元二郎』は、
熱中すると、我を忘れていたそうです。

そのため、
陸軍トップの『山縣有朋』の対談中、

話に、熱中しすぎて、

自身が放尿していることも気づかず、
そのまま熱弁を振ったそうです。

『山縣有朋』は、その事を気にしながらも、
対談を続けたというエピソードは、有名です。

ちなみに、
『明石元二郎』は、犬も猫も大好きで、
布団で、一緒に寝ていたそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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