日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(1)
- 2023/09/19
- 05:05
真偽のほども不明ですが、
日露戦争の時、
参謀本部次長『児玉源太郎』に命令され、
スパイ(工作員)『明石元二郎』は、
ロシア帝国で、偽名『アバズレーエフ』と名乗り、
後方かく乱のため、
1904年、ジュネーヴで、
『ウラジーミル・レーニン
(ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)』と会談し、
『ウラジーミル・レーニン』が率いる社会主義運動に、
4百億円以上の機密費を使い、
資金援助することを申し出ました。
当初、
『ウラジーミル・レーニン』は、
「祖国を裏切る行為だ。」と、言って拒否しましたが、
『明石元二郎』は、
「タタール人の君が、
タタールを支配しているロシア人の大首長のロマノフを、
倒すのに日本の力を借りたからといって、
何が裏切りなのだ!」といって説き伏せ、
『ウラジーミル・レーニン』を、
ロシア帝国に、送り込むことに成功しました。
そして、ロシア革命の成功へと、
繋がっていったそうです。
そして、
日露戦争は、日本が勝ちました。
後に『ウラジーミル・レーニン』は、
「日本の『明石元二郎』には、本当に感謝している。
感謝状を出したいほどである。」と、言ったそうです。
日露戦争後、
陸軍参謀本部参謀次長『長岡外史』は、
『明石元二郎』の活躍は、陸軍10個師団に相当する。」と、
言ったそうです。
また、
プロイセン国王 ・ドイツ皇帝『ヴィルヘルム2世』は、
「『明石元二郎』は、
日本軍20万人に匹敵する成果を挙げた」と、
言ったそうです。
ちなみに、
『ウラジーミル・レーニン』らが、
ロシア革命により、 ロシア帝国は滅び、
1917年11月7日、ロシア十月革命で、
ソビエト政権が、樹立されました。
ちなみに、11月7日は、ロシア革命記念日です。
ちなみに、現在、日本も含めて、
年月を示すには、グレゴリオ暦を使用していますが、
当時のロシアは、ユリウス暦を使用していました。
11月7日に起きたのに、
十月革命と言うのは、
現在使われているグレゴリオ暦11月7日が、
ユリウス暦で言うと、10月25日になるからです。
そして、
1922年12月30日、
ソビエト連邦を、成立させました。
『明石元二郎』のロシア革命工作は、
スパイ(工作員)活動のモデルケースとして、
日本のスパイ(工作員)養成学校の、
陸軍中野学校で、講義されたそうです。
ちなみに、
第二次世界大戦後、
陸軍中野学校は、廃校になったので、
日本は、情報戦略に関しては、脆弱になりました。
ちなみに、
『明石元二郎』が、ヨーロッパ赴任中、
あるパーティ会場で、
ドイツとロシア帝国の士官が、いました。
ドイツの士官が、
『明石元二郎』に、フランス語で、
「あなたは、ドイツ語ができますか?」と、
聞いてきたそうです。
すると、
『明石元二郎』は、
「外国語は苦手で、
フランス語が、やっとです。」と、
わざと、たどたどしいフランス語で、答えました。
すると、そのドイツの士官は、
『明石元二郎』を、完全無視し、
ドイツ語で、ロシア帝国の士官と重要な機密について、
話し始めたそうです。
しかし、実は、『明石元二郎』は、語学が得意で、
ドイツ語、フランス語、ロシア語、英語を、
完璧に理解していたので、
その機密事項を、入手したそうです。
そして、
日本のスパイ(工作員)たちの活躍などにより、
世界中のマスコミを、政府レベルで、
日本の味方にしたと、言われています。
ちなみに、
『児玉源太郎』、『明石元二郎』は、
国家に身を捧げる気持ちがあったので、
いくらでも、ごまかしのきく、機密費を、
4百億円以上使ったのですが、
自分の懐には、1円も着服しませんでした。
そして、日露戦争の後半が、
日本の連戦連勝となっていたのは、
ロシア帝国の諜報機関を、多額の機密費を使用し、
丸ごと買収するのに成功し、
すべての情報が、
筒抜けになったからだと、言われています。
本来は、税金の機密費は、そのように使うものです。
ちなみに、
『明石元二郎』は、
熱中すると、我を忘れていたそうです。
そのため、
陸軍トップの『山縣有朋』の対談中、
話に、熱中しすぎて、
自身が放尿していることも気づかず、
そのまま熱弁を振ったそうです。
『山縣有朋』は、その事を気にしながらも、
対談を続けたというエピソードは、有名です。
ちなみに、
『明石元二郎』は、犬も猫も大好きで、
布団で、一緒に寝ていたそうです。(続く)
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