昔話(16)-藤原氏と陰陽師と天皇(12)

『藤原元方』の娘『祐姫』が
『冷泉天皇』の父親『村上天皇』の
長男『広平親王』を生んだので、
『藤原元方』は、出世していったそうです。

その後、『藤原師輔』の娘『中宮・安子』が、
『村上天皇』の次男『憲平親王(冷泉天皇)』を産み、
『藤原師輔』の権勢により生後2ヶ月で皇太子に立てられ、
『広平親王』の将来は閉ざされました。

そのため、『藤原元方』は深く失望し、
悶死したそうです。
そのため、『冷泉天皇(冷泉院)』に祟ったと噂されました。

ちなみに、『藤原師輔』は、
妖怪や鬼の群れの「百鬼夜行」を見た事があるそうです。
詳しくは後日。 

『花山天皇(花山院)』も父親譲りのエピソードを持っています。

『花山天皇』は、「内劣りの外めでた」と世間では、
言われていました。

意味は、外見はイケメンだが、
中身が変という事です。

『花山天皇』の父『冷泉上皇』の御所が、
火事になった時、
『花山天皇』は、父の事が心配で、
駆け付けたそうです。

その時、何故か、
鏡をてっぺんに付けた笠を、
かぶった変な恰好で、
駆け付けたそうです。

すると、以前も書いたように
『冷泉上皇』は、火事を見ながら、
「かがり火」の歌を、
大声で歌い始めたそうです。

変わった親子を見て、
周囲はにいた人々は、可笑しかったのですが、
我慢したそうです。

すると、『高梨明順』は、
御神楽は庭にかがり火を焚いて行う事から、
「御神楽の庭火が、さかんですね。」と言ったそうです。

すると笑いを、こらえていた人々が、
たまらず笑い出してしたそうです。

『冷泉上皇』は、普段から一貫して変でしたが、
『花山天皇』は、奇行が目立つのですが、
時々、真面目になったり、
鋭くキレのあるアイデアを持ってたりするので、

「一条朝の四納言」で有名な『源俊賢』は、
その対応に苦慮したらしく、

「『冷泉上皇』のお狂いぶりより、
『花山天皇』のお狂いぶりの方がひどい。」と言ったそうです。

それを聞いた『藤原道長』は、
「ずいぶん、ひどい事を言う。」と大笑いしたそうです。

ただ、普段は変わっているかもしれませんが、
『花山天皇』は、和歌、建築などに対して
独特の発想や才能に恵まれていました。

ちなみに『花山天皇』は、
御所の、寝殿、対屋、渡殿が、
分かれて軒樋がかけられていたのを、
ひと続きに造り、屋根もつなげて、
檜皮葺きにするという画期的な寝殿造りを考え、
これは、以後基本となりました。

また、車庫の床板の奥を高くし、
急な用事の時、車庫と扉を開ければ、
車がひとりでに出るように考えました。

また、美に対する関心がありました。
特に、身の回りの調度品には、気を使ったそうです。

例えば、
いつも使う硯箱をつくる時、海辺をかたどった模様に、
蓬莱山などを金蒔絵にするように指示し、
漆の付け方や蒔絵の塗り方、縁金なども、
細かく指示したそうです

「桜の花は優美だが、
枝ごつごつしていて無骨なので、
梢だけ見たい。」と言って、
中門より外に桜を植えたり、

撫子の種を土堀に撒いて、
花のカーテンの様にしたりして、
ガーデニングを楽しんだりしたそうです。

でも、やはり思い通りにならないと、
物凄く不機嫌になったそうです。

そして、(続く)
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