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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(4)

2001年7月、
自由民主党の外務大臣『田中眞紀子』は、

群馬県で参議院選挙に立候補した、

自由民主党公認『吉川真由美』を、
応援するため、

午後3時、群馬県庁前に、到着しました。

しかし、
約束していた応援演説の予定時間が、

午後4時だったので、

応援すべき候補者の『吉川真由美』は、
別の場所で、演説していました。

すると、
自由民主党の外務大臣『田中眞紀子』は、

「まだ来ていないの?

時間が無いのよ!」と、不機嫌になり、

イライラしながら、

勝手に応援演説を、始めました。

『吉川真由美』は、
外務大臣『田中眞紀子』が、
応援演説をしているという、連絡を受けて、
演説を中断して、群馬県庁前へ急行しました。

そして、
『吉川真由美』が、息を切らしながら到着し、
外務大臣『田中眞紀子』の隣に立ちました。

外務大臣『田中眞紀子』は、

「これから新潟に行って、
外務省の用事があるから、

あと4分だけで、終わりにします。

隣にいる候補者とは、
今まで、会ったことが無いので、

先ほど、駅で、チラシを見るまで、
男か女かも知りませんでした。

でも、名誉のため、

市議会議員や県議会議員をやったから、

国会に行ってみようとか、

政治家の娘だから、

国会に行ってみようというのは、

税金の無駄遣いなんです。」と、演説を続けました。

ちなみに、『田中眞紀子』の事務所には、
事前に、『吉川真由美』についての資料が、
送られていたそうです。

ちなみに、外務大臣『田中眞紀子』は、
『吉川真由美』を、よく知らないと言いながらも、

『吉川真由美』は、元群馬県議会議員で、

自由民主党衆議院議員『熊川次男』の娘なので、
核心をついています。

そして、
もちろん、外務大臣『田中眞紀子』は、
政治家『田中角栄』の娘です。

そして、
『吉川真由美』は、

笑いながら、「そんなぁ。冗談を…。」と、言って、

興奮状態の外務大臣『田中眞紀子』を、

なだめようとして、肩へ触ろうとしたら、

外務大臣『田中眞紀子』は、

「この候補者、名前、何でしたっけ?

初対面の人に、あいさつなしに、
なれなれしく、いきなり触るなんで、
失礼ではありませんか!

私は、知らない人に、触られたくありません!

では、地元に、大切な用事がありますし、

外務省にも、大切な公用がありますので、

この辺で失礼します。」と言って、
そのまま、帰ったそうです。

ちなみに、その後、分かったのですが、

外務大臣『田中眞紀子』は、
外務省での公用は、ありませんでした。

そして、地元の用事とは、

新潟で、クラシックコンサートに、
行くことだったそうです。

結局、『吉川真由美』は、

落選したそうです。

この時の外務大臣『田中眞紀子』の応援演説が、
ニュースなどで繰り返し流され、

批判する声が続出したので、

外務大臣『田中眞紀子』は、
党紀委員会に、かけられましたが、

内閣総理大臣『小泉 純一郎』は、
擁護しました。

結果、戒告処分と相手に謝罪する事が、
決まり、

外務大臣『田中眞紀子』は、嫌々ながらも、
『吉川真由美』やその関係者に、謝罪したそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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