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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(2)

『田中眞紀子』外務大臣の
公設第1秘書『穂苅英嗣』は、

『田中眞紀子』外務大臣について、記者から聞かれた時、

「日頃から、全く連絡が取れない人でした。

携帯電話に連絡しても、まず出ない。

急ぎの用件の時は、本当に困りました。

アメリカで、同時多発テロが起きた時、

日本時間の22時でしたが、

急いで、電話をしても携帯は繋がらず、
自宅の電話にも出ない。

ようやく連絡が、取れたのは、
次の日でした。」と、言っています。

ちなみに、『穂苅英嗣』は、

公設第1秘書を辞めた後でも、

『田中眞紀子』に対しての、
心的外傷ストレス障害に、悩んでいるそうです。

『田中眞紀子』外務大臣は、

アメリカの同時多発テロを知って、

「何か情報はないの? 情報は!」と、
騒ぎ始めました。

そして、夜中の2時に、
『田中眞紀子』外務大臣は、

アメリカの日本大使館の『柳井俊二』大使から、

「アメリカの国務省は、撤収して、

アーリントン墓地近くの研修所に、
臨時の国務省を、開設して避難しました。

責任者は、
『リチャード・アーミテージ』国務副長官です。

他のホワイトハウスはじめ、多くの政府機関は、
すでに避難して安全な場所にいるので、大丈夫です。

このことは、日本が同盟国という事で、
アメリカから、教えてもらった、
一部の人しか知らない極秘事項なので、

くれぐれも、他言しないでください。」と、
聞きました。

そして、すぐに、『田中眞紀子』外務大臣は、

内閣総理大臣『小泉純一郎』に、
直接伝えるべく官邸に、行きましたが、

夜中の2時だったので、
公邸に戻って、休んでいたので、
取り次いで、もらえませんでした。

そして、
『田中眞紀子』外務大臣が、

官邸を出たところで、

記者団に、囲まれました。

すると、
『田中眞紀子』外務大臣は、

深く考えずに、条件反射で、

アメリカ国務省の避難先などの極秘事項を、

ペラペラと喋ってしまいました。

そして、アメリカは、機密事項を、

マスコミに漏らした日本政府に対し、

不信感を抱き、

アメリカの日本大使館の『柳井俊二』大使に、
厳重な抗議が伝えられ、

アメリカの日本に対する信用度が、低下し、

警戒される事態になりました。

その事を、記者に聞かれた、

『田中眞紀子』外務大臣は、

「言ってしまったものは、仕方がない。

それに、実害がなかったんだから、問題はない。

でも、自分には、直接、苦情は、まったく来てません。

あしからず。」と、開き直りました。

そして、
アメリカの同時多発テロに関して、

天皇陛下に謁見して、

大臣たちが天皇に対して、
国政の報告を行うという、内奏が行われました。

そして、
『田中眞紀子』外務大臣は、

内奏を終えて、

外務省に戻ってから、

副大臣、政務官、北米局や
総合外交政策局の幹部たちに、

「内奏で、陛下に、

内閣総理大臣『小泉純一郎』は、
今回のテロをきっかけに、

どんどん自衛隊を派遣したいと、
考えているようですが、

問題ではないでしょうか?って言ったら、

陛下は、そうですねって同意されたの。

これだけのテロを起こす能力があるのは、

イランが裏で関わっていると思いますと、

陛下に伝えたら、

イランは、
違うのではありませんか?と、

陛下に怒られちゃったわよ。

でも、1時間も内奏したの。最長記録らしいわよ。」と、

自慢話を、始めたそうです。

そして、『田中眞紀子』外務大臣は、

別の日にも、国会関係者に、内奏の話を、したそうです。

そして、マスコミにその話が、漏れ伝わったそうです。

ちなみに、
閣僚が、内奏の内容を、外に漏らすことは、

絶対にあってはならないそうです。

外務省官僚が、その事を、

『田中眞紀子』外務大臣に伝えると、

「どうしてなの? 何故ダメなの?
法律で、決まった事なの?」と、言うだけで、
まったく気にしませんでした。

しかし、『田中眞紀子』外務大臣は、
忘れていたみたいですが、

『田中眞紀子』の父親『田中角栄』内閣の時、

防衛庁長官『増原惠吉』が、マスコミに、

国防問題に関しての内奏の内容を、話してしまい、

そのことが問題になり、
『増原惠吉』は、辞任したという過去が、ありました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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