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日本の外交手腕(2)-外務省機密費流用事件

1997年、週刊ポストに、
「外務省に、機密費を、流用している官僚がいる。」と、
報じられましたが、何事も起きませんでした。

そして、
外務省に出入りする業者から、

過去3回開かれた東京でのサミットの予算額が、
最大15億だったのに対し、

2000年に開催された、
九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)の予算が、
815億円以上だという、
ささやかな内部告発が、ありました。

そして、2000年頃から、捜査が開始され、

『中才宗義』捜査二課情報係主任、
『中島政司』情報係長、
『萩生田勝』捜査二課第四知能犯係長らが、中心となり、

捜査二課は、総勢382人でしたが、

半数近くの162人が、動員されたそうです。

その後、調査により、
「九州沖縄サミットの経理を調べたら、
億単位の金を着服している人物がいる。

外務省が、自主的に処分したら、
刑事事件にしない。」となりましたが、
外務省の動きは、なかったそうです。

そして、捜査線上に、
九州・沖縄サミット準備事務局次長『松尾克俊』の名前が、
浮かび上がりました。

外務省の官僚『松尾克俊』は、

「外遊時に総理のいちばん近くで、
仕事をする男」と呼ばれる程、

外務省では、やり手で通っていて、

『松尾克俊』の提案により、
1990年より、要人外国訪問支援室が、新設され、

『松尾克俊』は、1993年から1999年まで、
外務省の要人外国訪問支援室長だったそうです。

そして、『松尾克俊』は、
サミット関連の入札を、実質的に仕切っていました。 

そして、『松尾克俊』を調査していると、
官舎のベランダに干されたTバックのパンティから、
愛人の存在が判明し、
次第に、裏の顔が、浮かび上がってきました。

そして、ようやく突き止めた、
『松尾克俊』の定期預金口座には、何億単位もの預金、
普通預金口座には、毎月のように数千万円単位の入金が、
ある事が分かり、

2000年2月から任意聴取が、開始されたそうです。

当初は、否認していました。

2000年3月12日、
取り調べを行っていた刑事が、懐から、

『松尾克俊』が、
両親の墓を拝んでいる所の写真を出しました。

そして、刑事は、

「嘘をついて、ご両親に恥ずかしくないか?

お墓の下で泣いているんじゃないか?」と言った瞬間、

『松尾克俊』は、泣き崩れ、自供を始めたそうです。

そして、
個人的な機密費の詐取に止まらず、
さらに上にいた外務省幹部なども、
繋がっていた可能性についても、話しました。

そして、機密費の税金を、9億8千8百万以上横領し、

東京・向島の料亭に通ったり、
競走馬、ゴルフ会員権、高級マンション、
愛人に、

税金のお金を流用していたことを、自白しました。

そして、逮捕されました。

ちなみに、
要人外国訪問支援室は、2001年、廃止されました。

ちなみに、『松尾克俊』は、

「言わなくても、いいのかもしれませんが、…。」、と前置きし、

「東京・向島の料亭で、

真っ裸になって、ろうそくを肛門に立て、

火をつけて座敷中を這い回るという、

ろうそく遊びを、していました。」と、告白しました。

そして、2002年、
『松尾克俊』は、懲役7年6カ月の判決を受けましたが、

外務省は、刑務所から出てきた後、
必ず面倒を見ると言ったそうです。

そして、外務省機密費流用事件の処分は、

外務省幹部20人以上が、

監督責任などを問われて、

懲戒減給などの処分を受けました。

そして、
『松尾克俊』は、模範囚として過ごして、
現在は、刑期を終えて、出所しました。

『松尾克俊』が、横領した約10億円は、

複雑なお金の流れだったので、

立件出来たのは、約4億円だけで、

『松尾克俊』は、約3億円を自己弁済しただけです。

現在も、残りの税金の数億円は、不明のままだそうです。

そして、
外務省機密費流用事件において、
『斎藤邦彦』次官付き秘書官をしていた、

『杉山晋輔』外交官も、2億円以上の税金流用着服疑惑等で、

名前が挙がりましたが、結局、うやむやになりました。

調査の指揮を取った『萩生田勝』捜査二課第四知能犯係長は、

「大きなお金が、必ずどこかに、流れているはずです。

上にいたキャリアの人間にも、

流れた可能性も十分に考えられる。

本当は、それを狙っていましたが、

『松尾克俊』は、最後まで口を割りませんでした。

外務省機密費の流用は、
昔から外務省内で行われていたことで、

『松尾克俊』は、その入口に過ぎなかったと、
言えるのかも知れません。」と、言っています。

なんとなく、TVドラマ「相棒」の『杉下右京』を、
思い出します。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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