日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(2)-公約違反
- 2023/02/23
- 05:05
当時のアメリカ大統領『ハーバート・クラーク・フーヴァー』は、
有効な対策をとれなかったのですが、
その後を継いだ、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
政府が、市場への介入や経済政策を、
限定的にとどめる、
古典的な自由主義的経済政策をやめて、
政府が、市場への介入や経済政策に、
積極的に関与する、
国家資本主義的政策(ニューディール政策)を行い、
アメリカを世界恐慌のどん底から、回復させたので、
アメリカでは、偉大なる政治家と言われています。
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
1921年、39歳の時ポリオに感染し、
その後遺症により、
下半身が、ほとんど麻痺したので、
日常生活は、車椅子を使用していたそうです。
車椅子の姿を、見られるのを、嫌ったので、
植木などで、カムフラージュするように、
神経質に指示していたので、
当時のアメリカ国民は、
麻痺があったことは、
ほとんど知らなかったそうです。
ちなみに、
ポリオウイルスの後遺症で、
麻痺が残るのは、1/100ー1/1000だそうです。
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
大富豪の上流階級の家庭で育ち、
当時の上流階級では、良くある事でしたが、
14歳まで、学校に行かず、
家庭教師の手によって、
教育を施されていたので、
同世代の子供と交流したり、遊んだりする機会は、
なかったそうです。
そして、上流階級に育っていたので、
下流階級の人の事を、完全にバカにしてたそうです。
アメリカ大統領は、
初代の大統領『ジョージ・ワシントン』が、
3選を、固辞した故事から、
大統領は、2選までというのが、慣例でしたが、
民主党で、
第32代目のアメリカ大統領
『フランクリン・ルーズベルト』は、
アメリカ政治史上で、
唯一、4選された大統領です。
ただし、その後、議会で、激しい論争が起き、
大統領を選ぶ権利を制限するべきでは、ないと、
民主党が主張していましたが、
大統領職が、ひとりの人物に、占有されては、
ならないという共和党の意見が通って、
大統領は、3期以上務めることを、
禁止することが、可決されました。
1940年11月に、『フランクリン・ルーズベルト』が、
アメリカ大統領の3選を果たした時、
「私は、外国との戦争を、絶対にしないことを、
固く約束します。
だから、アメリカ国民の子供たちは、
いかなる外国の戦争にも、送られることはないので、
安心して下さい。」と、
外国と戦争しないことを、公約しました。
でも、実は、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
利権のため、
第二次世界大戦に、どうしても、参戦したかったので、
口実を作るため、
アメリカは、ドイツの潜水艦を挑発して、
攻撃させようとしましたが、
ドイツは、引っ掛かりませんでした。
そのため、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
「ドイツ人は、高等な民族だから、
挑発して、引っ掛けるのは、困難だ。
現在、
下等な民族の日本人が、生意気にも、アジアに進出し、
アメリカのアジアでの利権を、脅かしている。
下等な民族の日本人は、馬鹿だから、
挑発して、引っ掛けるのは、簡単だ!」と言って、
日本を、追い詰める事にしました。
ちなみに、後日、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』の前任者だった、
『ハーバート・クラーク・フーヴァー』は、
「自分の後、アメリカ大統領になった『フランクリン・ルーズベルト』は、
利権のため、第二次世界大戦に参戦する口実を欲しがっていた。
しかし、当時、アメリカの基本政策は、
孤立主義の「モンロー主義」だったので、
国民全体が、第二次世界大戦の参戦を、嫌がっていました。
そのため、
『フランクリン・ルーズベルト』は、
あらゆる手を使って、日本を挑発していました。
そして、
『フランクリン・ルーズベルト』の行った戦争により、
荒れ果てた戦後の日本の状態を見て、
自分は、GHQに、日本への食糧援助を進言した。」と言っています。
1940年10月、
キリスト教の牧師の子供だった、
アメリカ海軍情報部極東課
『アーサー・マッカラム』少佐は、
「現在、アメリカの世論が、
第二次世界大戦の参戦を、嫌がっているが、
日本が、アメリカに対して、先制攻撃すると、
世論が、参戦の賛成に変わる。
日本に、先制攻撃させる方法として、
追い詰める事が、必要。
日本を、追い詰めるには、
日本と敵対する国、
例えば、中国政府に、可能な限りの援助を行う、
アメリカにある日本資産の凍結、
諸外国と共に、
日本への燃料の石油や食糧の輸出入を止めて、
経済封鎖をする必要がある。」という【マッカラム覚書】を、
アメリカ政府に提出しました。
そして、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
日本が、アメリカに対して、先制攻撃するように誘導するために、
【マッカラム覚書】に書かれている事を、実行に移しました。
そして、1940年、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』の側近の
財務長官『ヘンリー・モーゲンソー』と、
大統領補佐官『ロークリン・カリー』は、
日本に、宣戦布告しないで、
中国の国民政府軍を装って、
日本に対して先制爆撃する計画を、立てたそうです。
ちなみに、後日判明したのですが、
大統領補佐官『ロークリン・カリー』は、
ソ連のスパイだったそうです。
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
「戦争には参加しない。」と公約した半年後の
1941年には、大統領の権限の大統領令で、
他国に武器や軍需品を売却、譲渡、貸与することができる、
武器貸与法を成立させ、
日本と仲の悪い、
中国やソ連に、軍事援助を行いました。
ちなみに、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
歴代最多の3522通の大統領令を、発令しました。
そして、アメリカは、
日本の関東大震災の被害を分析し、
「日本の家は、木と紙で、出来ているから、
焼夷弾で、簡単に焼き払える。」と考えました。
1941年、7月23日、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
表面上は、日本に協調的姿勢を見せておいて、
150機の長距離爆撃機を、中国に供与して、
東京、横浜、京都、大阪、神戸を焼夷弾で、
空襲するという計画書「JB355」に、署名しました。
そして、
アメリカの戦闘機150機と空軍兵士200人を中国に派遣し、
アメリカ陸軍航空隊の将校『クレア・リー・シェンノート』を、
中国の航空参謀長として派遣し、
秘密裏に、日中戦争に参加し、
中国にあった日本人街を、
日本と戦うための実地訓練を兼ねて、攻撃したそうです。
すなわち、
日本の真珠湾攻撃の5カ月前に、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
有権者への公約を破って、
日本への先制攻撃、
すなわち、
外国との戦争を、行っていたのです。(続く)
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