fc2ブログ

記事一覧

日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(1)-モンロー主義

ロシアのプーチンや、
旧ドイツのヒットラーでも、分かる通り、
国のトップにより、国民の考え方が、変化します。

現在、アメリカ大統領は、良識ある人ですが、

昔のアメリカ大統領は、

アメリカにとっては、

偉大なる政治家と呼ばれた人でも、

良い人では、ありませんでした。

1775年にアメリカ独立戦争がはじまり、

1776年7月4日に独立宣言し、
アメリカ独立戦争に勝利し、

1783年にパリ条約が締結され、

「アメリカ合衆国」として正式に独立するまで、

アメリカ大陸は、ヨーロッパ諸国の植民地でした。

ちなみに、アメリカ合衆国では、
7月4日は、「独立記念日」として、代表的な祝日だそうです。

しかし、独立しても、

ヨーロッパ諸国、ロシアなどの干渉があったので、

1823年、アメリカ大統領『ジェームズ・モンロー』は、

今後、南北アメリカ大陸は、

ヨーロッパ諸国と関わるより、

南北アメリカ大陸のアルゼンチン、チリ、
ペルー、コロンビア、ブラジル、メキシコなどを勢力圏とする、

孤立主義の原則の「モンロー主義」を、

アメリカ外交の基本政策とすることにしました。

そのため、アメリカ合衆国は、

ヨーロッパ間での戦争、

ヨーロッパ列強やロシアの植民地政策について、

干渉する意図はないし、中立を保つが、

ヨーロッパ諸国やロシアが、

南北アメリカ大陸の独立国家に干渉することは、

アメリカ合衆国に対する敵対行為だと声明しました。

1914年から1918年に、
第一次世界大戦がありましたが、

戦場になったヨーロッパは、

戦勝国も敗戦国も荒廃しましたが、

アメリカは、戦場にならなかったので、

ヨーロッパで作っていた工業製品や農作物を、

アメリカで、つくるようになり、

戦争特需により、空前の好景気となりました。

そのため、アメリカは、注目を浴びたので、

アメリカはもちろん、世界の国々が、アメリカに投資し続けたので、

世界一の農業、工業生産力を有するようになり、

アメリカは、世界経済の中心となりました。

そして、アメリカは、どんどん物を作り続けましたが、

次第に、ヨーロッパの国々の経済が、持ち直してきたので、

工業製品や農作物が、少しずつ売れなくなりました。

そして、
農産物の価格が下落したため農民が貧困化し、
購買力が落ち、

ヨーロッパの高関税政策がはじまり、

国際貿易が、縮小していきましたが、

過剰な設備投資と生産が続きました。

そして、限界が来て、

1929年、
アメリカのウォール街で、株価が大暴落し、

慌てた預金者たちが、銀行に殺到したそうです。

そして、銀行は相次いで倒産し、
連鎖で投資を受けていた企業も、
倒産という負の連鎖を起こしました。

アメリカは世界経済の中心だったので、

不況の波は、1936年頃まで続き、世界中へと広がり、

世界大恐慌と呼ばれる世界的な大不況が起こりました。

世界大恐慌で、経済が不安定になったので、

ヨーロッパ諸国など、
植民地を多く持つ国は、自国の経済を保護するため、

「ブロック経済政策」と言って、
自国と自治領、植民地だけで、経済圏を作り、
他国に製品に高い関税をかけて貿易を制限しました。

そのため、
日本、イタリア、ドイツなど、植民地や資源を持たなかった国は、

輸出、輸入に頼り切っていたので、ブロック経済により、

自国経済を、維持できない状態に陥いりました。

そのため、国の存続のために、
軍の力で侵略することによって、
資源や領土を求めて戦争を、仕掛けていくという、

「個人の利益よりも国の利益を優先する」という考えの、

ファシズム思想が、浸透していきました。

ちなみに、ファシズムは、
イタリア語の「ファッショ(束)」が語源で、

個人が、束となることにより、

より強い国家を作るという考え方だそうです。

ちなみに、第一次世界大戦で敗戦し、
多額の賠償金を払っていたドイツは、
多額すぎる賠償金の返済のために、

アメリカの資金援助により、
経済を回している状態でした。

世界恐慌のため、
アメリカ資本が、次々とドイツから撤退しました。

そのため、
ドイツは、一度持ち直し始めていた経済が、再度転落して、

銀行や企業は次々に倒産し、貨幣の価値は下がり、

10年間で、物価が、1兆倍という異常な事態になりました。

そして、国民の不満に入り込むように、

『アドルフ・ヒトラー』が、台頭していきました。

そして、第二次世界大戦が起きました。

当初、アメリカ合衆国は、「モンロー主義」のため、

第二次世界大戦には、参戦しませんでした。

しかし、フリーメイソンの会員で、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、

ヨーロッパの事に関しては、干渉しませんでしたが、

アジア、太平洋方面の利権には、

参加、干渉したかったので、

日本の進出が、

アメリカのアジアでの利権を、脅かすと考えました。

そのため、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト
(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)』は、

「モンロー主義」をやめて、

世界大戦に、参戦すべきだ!と考えました。(続く)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ジャンルランキング

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ランキング

カテゴリ

鳥 (4)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ