日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(1)-モンロー主義
- 2023/02/15
- 05:55
旧ドイツのヒットラーでも、分かる通り、
国のトップにより、国民の考え方が、変化します。
現在、アメリカ大統領は、良識ある人ですが、
昔のアメリカ大統領は、
アメリカにとっては、
偉大なる政治家と呼ばれた人でも、
良い人では、ありませんでした。
1775年にアメリカ独立戦争がはじまり、
1776年7月4日に独立宣言し、
アメリカ独立戦争に勝利し、
1783年にパリ条約が締結され、
「アメリカ合衆国」として正式に独立するまで、
アメリカ大陸は、ヨーロッパ諸国の植民地でした。
ちなみに、アメリカ合衆国では、
7月4日は、「独立記念日」として、代表的な祝日だそうです。
しかし、独立しても、
ヨーロッパ諸国、ロシアなどの干渉があったので、
1823年、アメリカ大統領『ジェームズ・モンロー』は、
今後、南北アメリカ大陸は、
ヨーロッパ諸国と関わるより、
南北アメリカ大陸のアルゼンチン、チリ、
ペルー、コロンビア、ブラジル、メキシコなどを勢力圏とする、
孤立主義の原則の「モンロー主義」を、
アメリカ外交の基本政策とすることにしました。
そのため、アメリカ合衆国は、
ヨーロッパ間での戦争、
ヨーロッパ列強やロシアの植民地政策について、
干渉する意図はないし、中立を保つが、
ヨーロッパ諸国やロシアが、
南北アメリカ大陸の独立国家に干渉することは、
アメリカ合衆国に対する敵対行為だと声明しました。
1914年から1918年に、
第一次世界大戦がありましたが、
戦場になったヨーロッパは、
戦勝国も敗戦国も荒廃しましたが、
アメリカは、戦場にならなかったので、
ヨーロッパで作っていた工業製品や農作物を、
アメリカで、つくるようになり、
戦争特需により、空前の好景気となりました。
そのため、アメリカは、注目を浴びたので、
アメリカはもちろん、世界の国々が、アメリカに投資し続けたので、
世界一の農業、工業生産力を有するようになり、
アメリカは、世界経済の中心となりました。
そして、アメリカは、どんどん物を作り続けましたが、
次第に、ヨーロッパの国々の経済が、持ち直してきたので、
工業製品や農作物が、少しずつ売れなくなりました。
そして、
農産物の価格が下落したため農民が貧困化し、
購買力が落ち、
ヨーロッパの高関税政策がはじまり、
国際貿易が、縮小していきましたが、
過剰な設備投資と生産が続きました。
そして、限界が来て、
1929年、
アメリカのウォール街で、株価が大暴落し、
慌てた預金者たちが、銀行に殺到したそうです。
そして、銀行は相次いで倒産し、
連鎖で投資を受けていた企業も、
倒産という負の連鎖を起こしました。
アメリカは世界経済の中心だったので、
不況の波は、1936年頃まで続き、世界中へと広がり、
世界大恐慌と呼ばれる世界的な大不況が起こりました。
世界大恐慌で、経済が不安定になったので、
ヨーロッパ諸国など、
植民地を多く持つ国は、自国の経済を保護するため、
「ブロック経済政策」と言って、
自国と自治領、植民地だけで、経済圏を作り、
他国に製品に高い関税をかけて貿易を制限しました。
そのため、
日本、イタリア、ドイツなど、植民地や資源を持たなかった国は、
輸出、輸入に頼り切っていたので、ブロック経済により、
自国経済を、維持できない状態に陥いりました。
そのため、国の存続のために、
軍の力で侵略することによって、
資源や領土を求めて戦争を、仕掛けていくという、
「個人の利益よりも国の利益を優先する」という考えの、
ファシズム思想が、浸透していきました。
ちなみに、ファシズムは、
イタリア語の「ファッショ(束)」が語源で、
個人が、束となることにより、
より強い国家を作るという考え方だそうです。
ちなみに、第一次世界大戦で敗戦し、
多額の賠償金を払っていたドイツは、
多額すぎる賠償金の返済のために、
アメリカの資金援助により、
経済を回している状態でした。
世界恐慌のため、
アメリカ資本が、次々とドイツから撤退しました。
そのため、
ドイツは、一度持ち直し始めていた経済が、再度転落して、
銀行や企業は次々に倒産し、貨幣の価値は下がり、
10年間で、物価が、1兆倍という異常な事態になりました。
そして、国民の不満に入り込むように、
『アドルフ・ヒトラー』が、台頭していきました。
そして、第二次世界大戦が起きました。
当初、アメリカ合衆国は、「モンロー主義」のため、
第二次世界大戦には、参戦しませんでした。
しかし、フリーメイソンの会員で、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、
ヨーロッパの事に関しては、干渉しませんでしたが、
アジア、太平洋方面の利権には、
参加、干渉したかったので、
日本の進出が、
アメリカのアジアでの利権を、脅かすと考えました。
そのため、
アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト
(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)』は、
「モンロー主義」をやめて、
世界大戦に、参戦すべきだ!と考えました。(続く)
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