イスラム(7)-一夫多妻(1)ームーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフの子供の数
- 2023/01/15
- 05:05
イスラム教国の石油が採れるお金持ちの国の
ブルネイ・ダルサラーム国に行った事がありますが、
イスラム教国は、一夫多妻制を認めているので、
どこの店に入っても、
大抵、王様とお妃王様の第一婦人、
第二婦人の写真が、飾られていました。
その時に、
イスラムは、一夫多妻制は、普通なんだと、思いました。
ちなみに、ギネスブックによると、
史上最も多くの子供を作った人間として、記録されているのは、
イスラム教国のモロッコのアラウィー朝の第4代目スルタンの、
『ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフ』です。
1672年ー1727年の間統治していましたが、
子供の数は、ギネスブック記録では、1042人ですが、
『ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフ』の死後に、生まれた子もいて、
最終的な総数は不確定ですが、
ウィーン大学の調査によると、1171人だそうです。
『ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフ』は、
正妻が、4人、側室が、約500人いたそうです。
ちなみに、
『ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフ』は、
アラウィー朝最初の君主『ムーレイ・シャリーフ』の七男で、
母親は、黒人の奴隷だったそうです。
当時、権力闘争により、
モロッコは、情勢不安定となり、
王位継承をめぐって争っていたそうです。
そして、
『ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフ』は、
黒人奴隷を主とした強力な黒人親衛隊軍隊を創設し、
「戦士王」、「血まみれ王」と呼ばれるほど、
戦いに明け暮れ、
国内の反乱を粉砕し、国内をまとめ、
オスマン帝国、スペイン、
ポルトガルと戦い、地中海に繰り出しては、
貿易船を捕らえて、人々を拉致していました。
拉致した人々は、奴隷として働かせ、
帰国するには、膨大な身代金を要求し、
この海賊ビジネスで、大いに国庫は潤ったそうです。
ちなみに、
最近、多妻で話題になったのは、
1924年1月に生まれのナイジェリア人の
教師で宗教家の『Muhammadu Bello Abubahkar Masaba Bida』で、
126人の妻と約203人の子供が、いたそうです。
イスラム法では、妻は4人までしか、
認められていないので、
2008年、
イスラム法裁判所は、
4人以上の女性と婚姻関係を結んだことについて、
イスラム法に反するとの判断をし、
厳格なイスラム教聖職者の中には、
即刻死刑にすべきという非難もありましたが、
4人の妻を残して、
残りの妻と離婚すれば、無罪で、
離婚しなければ、追放するという事に落ち着いたそうです。
しかし、
『Muhammadu Bello Abubahkar Masaba Bida』は、
その処分さえ、徹底的に無視し続けたので、
イスラム法への侮辱だとして、拘束されたそうです。
しかし、『Muhammadu Bello Abubahkar Masaba Bida』は、
家族全員を平等に愛していたので、
妻全員と子供たちが、
抗議デモを行った結果、釈放されたそうです。
97人目と結婚した時に、取材を受けた、
『Muhammadu Bello Abubahkar Masaba Bida』は、
「奥さんが多い?
私には、97人の妻しかいません。
私は、生きている限り、もっと結婚するつもりです。
神は、全知全能なので、
私がしていることは、すべて神は知っています。
私の家族全員が幸せで、
天罰が、ないということは、
神は、私がしていることを、
祝しているのです。」と答えていました。
ちなみに、
『Muhammadu Bello Abubahkar Masaba Bida』は、
2017年1月に、自宅で、愛する家族に看取られなが、
93歳で、死亡しました。
ちなみに、日本で、一夫多妻と言えば、
その昔、連日ワイドショーで話題になった、
自称占い師『渋谷博仁』の
東大和市の一夫多妻男事件があります。(続く)
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