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感染予防(2)-ルイ・パスツール(4)-家禽コレラ

当時、フランスでは、家禽コレラと言う感染症で、

大量のニワトリが死亡し、困っていました。

生化学者・細菌学者『ルイ・パスツール』は、

微生物学者『Charles Chamberland』と、

生化学者・細菌学者『ルイ・パスツール』は、
医師では、なかったので、

解剖や病人の診察などをした事がなく、
医学の知識も乏しかったので、

若き医師『Pierre Paul Émile Roux』を迎えて、

家禽コレラの研究を、開始しました。

ちなみに、
微生物学者『Charles Chamberland』は、
1884年に、細菌をろ過する、
シャンベラン型濾過器を発明し、

1879年に、手術道具の滅菌装置の、
オートクレーブの発明プロジェクトを、
立ち上げたそうです。

ちなみに、
動物病院では、オートクレーブは、必需品です。

ちなみに、
自分が大森山動物園に勤務した当初は、
オートクレーブがなかったので、
手術器具は、煮沸消毒し、

器具置き場は、メタノールで、
火を付けて、消毒していました。

でも、1人でするのは、
手間がかかり、非効率的だったので、
後日、オートクレーブを入手しました。

ちなみに、
現在、大森山動物園の現場獣医師は、4人体制です。

医師『Pierre Paul Émile Roux』は、
後日、パスツール研究所の2代目所長となり、
免疫学の分野の創始者と呼ばれる、
偉大な学者となります。

そして、
1878年、『ルイ・パスツール』は、
家禽コレラを引き起こす細菌の培養に成功し、

『ルイ・パスツール』の名前から、

Pasteurella multocida と命名しました。

1879年、『ルイ・パスツール』の研究室は、

家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)を、
フラスコで、大量に培養していましたが、

乱雑になっていました。

そのため、『ルイ・パスツール』は、
整理整頓することにしました。

通常は、密封して培養していたのですが、

1ヶ月以上、封が外れて、密封されずに、培養されていた、

家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)がありました。

『ルイ・パスツール』は、

「試しに、密封されていなかった家禽コレラ菌を、
ニワトリに注射してみよう!」思い付きました。

そして、注射の初日、ニワトリは、元気がなくなりました。

しかし、
翌日、ニワトリは元気が回復し、普段通りに戻りました。

念のため、もう一度試してみても、同じ結果になりました。

助手たちは、

死んでしまった家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)を使ったから、

発症しなかったんだろうと軽くと考えていました。

しかし、『ルイ・パスツール』は、

もしかすると、大発見かも?と考え、

注射後、元気を回復したニワトリに、

新鮮な毒性の高い家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)を、
注射しました。

すると、
ニワトリは、家禽コレラを発症する事ともなく、元気でした。

ニワトリは、弱った家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)の注射によって、
免疫を獲得していたのでした。

その後、家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)は、

密閉せず、空気にさらしながら培養すると、

弱毒化する事が分かり、

弱毒化した家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)を使って、

家禽コレラのワクチンが、完成しました。

世界初のワクチンは、

1796年の『エドワード・ジェンナー』の種痘ですが、

牛痘にかかった人が、
2度と天然痘にかからないという経験的事実から、

自然界に存在していたウイルスを使用しました。

『ルイ・パスツール』が、
1879年に開発した家禽コレラのワクチンは、

人工的に作られた世界最初のワクチンです。

ちなみに、現在の日本では、家禽コレラは、

法定伝染病に指定されているので、

ワクチンは使用されず、

ニワトリは、家禽コレラと診断されると、

治療を行わず、殺処分されます。

ちなみに、
家禽コレラ菌(Pasteurella multocida)は、

酸素があっても、なくても生きる事が出来る、

通性嫌気性生物です。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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