感染予防(2)-自然発生説(4)-ルイ・パスツール(2)-微粒子病(1)
- 2022/05/22
- 05:05
ヨーロッパでは、絹の産地として知られていました。
しかし、
1850年代より、フランスでは、
微粒子病と呼ばれる病気により、
たくさんのカイコが死んで、
フランスの養蚕業は、滅亡寸前でした。
そのため、1865年、『ルイ・パスツール』は、
カイコの微粒子病の研究を、開始することになりました。
しかし、『ルイ・パスツール』は、
カイコの幼虫が、サナギになることや、
幼虫が、糸を吐いて繭をつくって成虫になるなど、
カイコどころか、昆虫の事を、まったく知らなかったので、
カイコについての基礎知識を得るため、
フランスで有名な昆虫学者
『ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル』の所に行き、
学んだそうです。
『ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル』は、
『ルイ・パスツール』が、昆虫について全く知らなかったので、
驚いたそうですが、
研究に挑む態度に感動したそうです。
ちなみに、
徳川幕府の14代将軍『徳川家茂』は、
フランスの養蚕業が壊滅状態になった事を知り、
日本カイコの卵を集めて、
フランスに寄贈したそうです。
日本のカイコの話は、長くなるので、後日詳しく…。
そして、カイコの卵の一部は、
『ルイ・パスツール』の所へ、
研究用として、分け与えられたそうです。
そして、1867年、『ナポレオン・ボナパルト』の甥で、
フランス第二帝政の皇帝『ナポレオン3世』は、謝礼として、
徳川幕府に、アラビア馬26頭を贈呈したそうです。
『ナポレオン・ボナパルト』と『ナポレオン3世』の話については、
後日詳しく…。
しかし、戊辰戦争など明治維新前後の混乱の中で、
一時行方不明となりましたが、
その後、再発見され、アングロアラブとして、
日本の競馬に貢献した血統もあるそうです。
しかし、
『ナポレオン3世』が日本と関係を親しくした裏には、
日本に対する野望がありましたが、
その話は後日詳しく…。(続く)
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