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感染予防(1)-消毒の大切さを訴え続けたため、殺された医師『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』(3)

『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』は、

「手洗いによる消毒が、産褥熱を防げる、」と
消毒の効果を、発表しました。

しかし、現在、うがい、手洗いなど、消毒が、
病気の感染を防ぐというのが、常識ですが、

当時は、病原菌などの概念が、ありませんでした。

その上、
『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』の説を認めると、

「患者を殺していたのは、医師の手である。」という、

医師にとって受け入れがたい結論になるので、

当時の医学界には、まったく受け入れられず、

大きな反発を呼びました。

それでも、
『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』は、

1人でも多くの妊婦を救おうと使命感に燃え、

「次亜塩素酸カルシウムで手を消毒することで、
劇的に産婦の死亡率を、
下げることが出来る!」と強く訴え続けました。

しかし、
『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』は、

「仮名:死体粒子」を、発見できませんでした。

ちなみに、『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』は、
口頭では言っていましたが、
自身の成果を、著述していませんでした。

『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』の説に対して、

医学界からは、

「医者が病気を移すだと? ふざけるな!」、

「医者とは高貴で綺麗なのだ! 

それを、医者が汚染源だと? 
死体粒子などと言うのは、

嘘つきの狂人のたわごとだ!」、

「医者が、病気を移すというなら、

患者を救うために、
医者は、自殺した方が良いと言うのか?」、

「根拠の無い妄想で、医学を語るな!」、

「実証主義の私が言うが、
死体粒子が、人間を、死体に変えるなんで、
非科学的な妄想だ!」などと、

非難と嘲笑され続けました。

それでも、
『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』は、

「手を洗えば、救える命がある!」と、
ヨーロッパ中の主要な産科医たちに、
積極的に、訴え続けました。

ちなみに、
全員が、批判したわけではありませんでした。

オーストリアの主要な医学雑誌の
編集者『フェルディナント・フォン・ヘブラ』は、
1847年と1848年の2回、

誌上で『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』の発見は、
『エドワード・ジェンナー』の種痘法発明に、
匹敵するほどに重大なものであると主張しました。

1848年、
『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』の教え子たちが、
業績の解説書を出し、

ロンドンの王立医学・外科協会で紹介されたり、
医学雑誌「ランセット」に書評が掲載されたり、
フランスの雑誌に掲載されたそうです。

そして、比較的、イギリスでは、
『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』の説は、
受け入れられたそうです。

ただし、
イギリスの産科医たちは、
理論を理解したわけではなく、

イギリスの著名な産科医『ウィリアム・タイラー・スミス』は、

「以前から、イギリスの産科医たちは、
知っていたが、

解剖室から流れ出した悪い空気が、
産褥熱を引き起こす事に、

『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』が、
決定的に見抜いた。」と言いました。

『ジェームズ・ヤング・シンプソン』医師は、

「イギリスでは、悪い空気が、
産褥熱を引き起こすという事までは、
研究が進んでいるので、

『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』が、
イギリスの研究成果を全く知らなかったのだ。」と言いました。

ドイツのキールの大学の
『グスタフ・アドルフ・ミハエリス』産科教授は、

『センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ 』の説に納得し、
連絡を取り合っていました。

しかし、実のところ、
『グスタフ・アドルフ・ミハエリス』産科教授は、

「伝染病は、不清潔からもたらされる。」という原則を、

まったく理解出来ていませんでした。

そして、
『グスタフ・アドルフ・ミハエリス』産科教授は、
不清潔な病室で出産直後の従妹を診療した結果、
従妹を、産褥熱で、死なせてしまい、

深く責任を感じた末に、自殺したそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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