サイバー犯罪(2)-世界で最も危険なハッカー『ケビン・ミトニック』(1)
- 2022/04/02
- 05:05
『ケビン・ミトニック』は、1980年から1990年代にかけて、
巧みなハッキング行為を、行っていました。
『ケビン・ミトニック』は、1963年8月6日に、
ロサンゼルス生まれ、3歳の時に両親が離婚したので、
ウェイトレスとして働く母に、引き取られ育ったそうです。
『ケビン・ミトニック』は、孤独を好み、
高校の時に、コンピュータに、のめり込みました。
ネットワーク上で、ハッカーの友人ができ、
システムへ不正に侵入したり、
コンピュータシステムを破壊、改ざんするなどのクラッキングや、
電話回線への侵入などを競い合い、
どんどんレベルアップしました、
しかし、コンピュータ会社のデータを盗んで、
逮捕され、禁固刑を受けました。
ちなみに、
『ケビン・ミトニック』は、結婚していましたが、
「ブラック・ハット・ハッカー」をやめられず、
妻と離婚したそうです。
そして、1990年、『ケビン・ミトニック』は、
保護観察になりました。
すると、1992年、
保護観察官の電話番号が、突然ブロックされ、
裁判官の銀行口座が、勝手に動き始めました。
そして、
裁判所のコンピューターのデータベースから、
『ケビン・ミトニック』に関する情報が、全て消滅しました。
そのため、
『ケビン・ミトニック』を、捕まえることは、
ものすごく困難となりました。
FBIは、『ケビン・ミトニック』を、追跡できなかったのですが、
『ケビン・ミトニック』は、FBIを盗聴したり、
『ケビン・ミトニック』を追っていた
主任捜査官の机引出に、
「奥さん誕生日おめでとう!」のメッセージと共に、
卑猥なプレゼントを忍ばせたりなど、
FBIを、完全に手玉に取っていました。
FBIは、完全に行き詰まり、
『ケビン・ミトニック』の逮捕は、
もはや無理ではないか?と、
考えるようになったそうです。
そして、
国家安全保障会議や空軍に協力を要請されるほどの、
トップクラスのセキュリティ専門家の
サンディエゴ・スーパーコンピュータ・センターの
『下村努』に、助言を求めたそうです。
それを知った『ケビン・ミトニック』は、
1994年、『下村努』の自宅のコンピュータに、
ハッキングし、プログラムを盗んだ上に、
愚弄するメッセージを残しました。
『下村努』は、体が震えるほど、
ものすごく腹が立ち、絶対に許せないと思いました。
ちなみに、『下村努』は、発る動物で、「緑色蛍光タンパク質(GFP)」で、
ノーベル賞を受賞した米ボストン大名誉教授『下村脩』博士の、
息子さんです。
『下村脩』博士の自伝「クラゲに学ぶ―ノーベル賞への道」を読みましたが、
長男『下村努』は、何をするか分からないところがあるが、
『ケビン・ミトニック』の逮捕に関わり、
注目されたと、書かれていました。(続く)
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