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2人の大量殺人鬼を生み出したコロンビア(10)-ギネスブック認定の殺人鬼『ペドロ・アロンソ・ロペス』(1)

350人以上を殺し、

ギネスブック2006年版で、

「個人で最も多くの人間を殺した殺人鬼」と認定され、

『アンデスの怪物』と呼ばれた、

『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、

「ラ・ビオレンシア(暴力)の時代」のコロンビアで、

コロンビア保守党員『ミダールド・レイエス』と、

売春婦『ベニルダ・ロペス・デ・カスタニェーダ』との間に、
7番目の子供として、
1948年10月8日に生まれました。

1948年4月4日、ボゴタ暴動で、
『ペドロ・アロンソ・ロペス』の父『ミダールド・レイエス』は、
銃弾を受けて、死んだそうです。

娼婦の母『ベニルダ・ロペス・デ・カスタニェーダ』は、

自宅で、昼夜問わず、仕事をしていたので、

『ペドロ・アロンソ・ロペス』の父親違いの兄妹は、
13人いたそうです。

『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、

娼婦の母親『ベニルダ・ロペス・デ・カスタニェーダ』の喘ぎ声が、

1日中聞こえてくるのを、不快に思っていて、

親の愛情を知らず、
家族との楽しい思い出は、まったくない環境で、育ちました。

その上、
男性客に、何度も暴行を受けたので、

徐々に精神が不安定になり、

激しい憎悪の感情を、
溜め込むようになったそうです。

後日、『ペドロ・アロンソ・ロペス』の
母親『ベニルダ・ロペス・デ・カスタニェーダ』は、

「幼い頃は、礼儀正しく、
将来、教師になりたがっていた。」と言っていましたが、

『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、

「母親は、

自分に対して、暴行を加える客に対して、
やめろと言わずに、黙って見ていた。

その上、母親からも、虐待された。」と語っています。

1957年、8歳の『ペドロ・アロンソ・ロペス』が、

興味本位で、妹の胸に触れている時、

たまたま、母親に見つかり、

家から追い出されたそうです。

『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、

母親に抱きついて、泣きながら謝り、家に戻りました。

すると、母親は、『ペドロ・アロンソ・ロペス』を、

約300km離れた遠い所に連れ行き、

「もう二度と家に帰って来るな!」と言って、

再び、捨てたそうです。

そのため、
8歳の『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、

道路脇で空腹と寂しさで、泣きながら、

物乞いをして、生きる事になりました。

すると、
「家と食事の面倒を見てあげよう。」と言って、

親切そうな男が、声を掛けてきました。

空腹で、心細かったので、
喜んで、その男に付いて行くと、

廃屋に連れて行かれ、

何度も性的暴行を、受けたそうです。

後日、『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、

「俺の人生は、8歳で、未来が無くなった。

俺の純潔は、8歳で奪われてしまった。

俺だけが不幸なのは、不公平だ!

これからは、俺が味わったのと同じ苦しみを、

できるだけ多くの人間に対して、

絶対に味わせてやる!

いや、それだけでは足りない!

出来るだけ沢山の人間を殺す!

殺す時は、苦悶の表情を見たいので、

苦しませてから殺す!

そうして、気分をスッキリさせる!」と、誓ったそうです。

その後、残飯を漁りながら、路上生活をするようになり、

盗みを繰り返しながら各地を転々とし、

ギャングに加わり、コカインなどを常用し、

すさんだ生活を、送っていたそうです。

1958年頃、『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、9歳の時、

あるアメリカ人の夫婦の計らいで、
孤児院に入りますが、

職員の1人から性的暴行を受けたので、
脱走したそうです。

その後、『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、
自動車などを窃盗して、生活していましたが、

1969年、自動車窃盗で逮捕され、
懲役7年の刑で刑務所に、収監されました。

『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、刑務所での2日目の晩、
4人の男の囚人から、数回輪姦されました。

そのため、
『ペドロ・アロンソ・ロペス』は、2週間かけてナイフを作り、
1人づつ誘い出して、3人を殺したそうです。

しかし、4人目には、逃げられたそうです。

この殺害は、正当防衛と判断され、
刑期が、2年追加されるだけに留まったそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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