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2人の大量殺人鬼を生み出したコロンビア(8)-「ラ・ビオレンシア(暴力)の時代」(7)-殺人率

1990年代までは、コロンビアは、
世界で最も危険な国の1つでしたが、

2002年、『アルバロ・ウリベ』大統領と、
2010年、『フアン・マヌエル・サントス」大統領が、

治安対策に力を入れた結果、

2016年、「コロンビア革命軍(FARC)」は、
政府と戦闘終結で合意し、武装解除したので、

コロンビアは、飛躍的に、治安が改善しました。

ちなみに、
「コロンビア革命軍(FARC)」は、
武装解除後の2017年以降は、合法政党に移行し、

2021年に「Comunes」へ改称したそうです。

しかし、「コロンビア革命軍(FARC)」は、
誘拐や麻薬取引を資金源にしてきたので、
コロンビア国民の不信感は、根強いそうです。

ちなみに、
「コロンビア革命軍(FARC)」の武装解除に反対して、

約1500人が離脱し、

現在も、麻薬密輸等の非合法活動を継続しているそうです。

ちなみに、
『アルバロ・ウリベ』大統領の父『アルベルト・ウリベ』は、

1983年、麻薬取引中に、
武装農民「コロンビア革命軍(FARC)」に誘拐され、
殺害されたそうです。

そのため、
武装農民「コロンビア革命軍(FARC)」対策に、
熱心だったそうです。

しかし、『アルバロ・ウリベ』は、
1982年、メデジン市長でしたが、
麻薬王『パブロ・エスコバル』との個人的な友人で、

麻薬組織と公然と関係を持っていたために、
解任されたそうです。

しかし、コロンビアでは、
1980年代から1990年代当時は、
麻薬組織が非常に強力だったので、

麻薬組織からの誘拐や死を避けて、
安全に政治を行い、

麻薬組織からの可能なかぎりの干渉を制限するため、

政治家であっても、麻薬組織との限られた、
つき合いは避けられなかったし、

部分的に懐柔的な姿勢が、必要だったと言われています。

その後、『アルバロ・ウリベ』は、
1984年から1986年、メデジンの市会議員を務め、
治安改善に努め、成果を出し、
徐々に上り詰め、大統領となりました。

ちなみに、
治安の良し悪しを見分ける参考には、

殺人率(人口 10 万人における殺人発生件数)が、

指標としてよく使われます。

1990年代のコロンビアの殺人率は、約88で、

犯人の97%が、処罰を受けなかったそうです。

それが、2012年には、
殺人率が、約26にまで減少したそうです。

ちなみに、現在の、日本の殺人率は、約0.28です。

日本は、かなり低い数値で、安全です。

ちなみに、
現在、世界一治安が、悪いと言われるのは、

アメリカ中南米の国々で、

殺人率は、

エルサルバドルは、約62、

ベネズエラは、約60、

レゲエ発祥の地のジャマイカは、約56

ホンジュラスは、約41、

「カリブ海の宝石」と言われ、

ダイビングで大人気の
「ブルーホール」のあるベリーズは、約38、

ブラジルは、約31、
グアテマラは、約27です。

ちなみに、
バチカン市国の殺人率は、なんと、0です。

でも、バチカン市国では、
置き引きやひったくりは、多発しているそうです。

コロンビアの誘拐事件発生数は、
2002年には、約3千でしたが、

2010年には、約3百件に激減しました。

現在、コロンビアは、
郊外や観光客があまり訪れない場所にさえ行かなければ、

危険な目に遭うことは少ないと考えられています。

しかし、
2010年7月、コロンビアの南方の町マカレナで、

お金を目当てに、
虐殺されたと思われる一般市民の遺体、

約2千体以上が発見されました。

ちなみに、コロンビアは、
16世紀から19世紀までの約3百年間は、

人々は、穏やかで、のんびりとしていて、

政治的暴力は、ほとんど無くて、

暴力的な人々は、ほとんどいなく、

殺人事件も、ほとんど無く、

警察が、いなくても、

泥棒や人を欺くような人間は非常に稀で、

世界で最も治安の良い国の1つだったそうです。

社会形態が変わるだけで、治安が変わり、
人々の性格や生活が変わります。

現在の日本の治安は、とても良いのですが、
平安末期や戦国時代の治安は、
かなり悪かったと思います。

だから、政治は大切です。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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