2人の大量殺人鬼を生み出したコロンビア(7)-「ラ・ビオレンシア(暴力)の時代」(6)-麻薬カルテル戦争
- 2022/01/24
- 05:05
反政府活動に対して、戒厳令を布告して弾圧しました。
そして、多くの人々が、秘密警察による拉致や拷問を受け、
その後、行方不明となりました。
これらの人権侵害によって、
『フリオ・セサル・トゥルバイ・アヤラ』は、
多くの批判を浴びましたが、
1982年まで、大統領を務め、
1982年、保守党『ベリサリオ・ベタンクール・クァルタス』が、
大統領に就任しました。
そして、
ゲリラ勢力と和平を実現しようとしましたが、
麻薬組織は、警察内部を買収していたので、
警察は機能不全となっていたので、
麻薬組織に敵対する、
司法関係者、議員や政府関係者など要人は、
次々に、拉致され、暗殺され、闇に葬られていきました。
そして、
1986年、自由党『ビルヒリオ・バルコ・バルガス』が、
大統領に就任しました。
そして、1989年、
麻薬組織「メデジン・カルテル」との、
「麻薬カルテル戦争」が、開始されました。
そして、
1993年、麻薬組織「メデジン・カルテル」の
最高幹部『パブロ・エスコバル』が、
治安部隊に射殺され、
麻薬組織「メデジン・カルテル」は、壊滅的ダメージを受けました。
1994年、自由党『エルネスト・サンペール・ピサノ』が、
大統領に就任しました。
そして、
1995年、麻薬組織「カリ・カルテル」の
最高幹部『ヒルベルト・ロドリゲス』と『ミゲル・ロドリゲス』兄弟が、
逮捕されました。
しかし、実は、
麻薬組織「カリ・カルテル」の
最高幹部『ヒルベルト・ロドリゲス』と『ミゲル・ロドリゲス』兄弟が、
「メデジン・カルテル」の最高幹部『パブロ・エスコバル』が、
殺害され、壊滅したという、二の舞を避けるために、
自由党『エルネスト・サンペール・ピサノ』大統領に、
多額の資金を提供し、
組織の延命を図るために、
刑期短縮を条件に、
取引していたことが、発覚しました。
そのため、
麻薬組織「カリ・カルテル」の、
最高幹部『ヒルベルト・ロドリゲス』と
『ミゲル・ロドリゲス』兄弟の刑期短縮は、
却下され、
アメリカ合衆国の刑務所に、収監される事になったそうです。
ちなみに、
クレイジーケンバンドの
2005年発表のアルバム「ソウルパンチ」に、
「ロドリゲス兄弟」という歌があります。
その後、
麻薬組織「カリ・カルテル」は、最高幹部が逮捕されたことにより、
統制がとれなくなり、衰退し、
次々に、麻薬密売組織が、壊滅状態に追い込まれ、
現在、コロンビアでは、過去のような大型組織は、無くなり、
組織の小規模化が進みました。
しかし、麻薬組織は小規模となりましたが、
市民にとって、身近な脅威として、
深刻な影響を保っているそうです。(続く)
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