2人の大量殺人鬼を生み出したコロンビア(3)-「ラ・ビオレンシア(暴力)の時代」(2)-『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領
- 2022/01/04
- 05:05
一般大衆 の利益や権利を守るという事で、
ポピュリズム(大衆主義)政策を掲げ、
武装化した市民や農民達に、
農地改革と貧困対策を取ることと、
武装化した市民や農民達が、
今までしてきた暴力行為に関して、罪を問わないので、
暴力をやめて、平和な世の中になろうと説得し、
武装化した市民や農民達の武装解除に成功しました。
『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領は、
国民に寛大な大統領のイメージを持たせよう考え、
1955年、
農民達を、弾圧を行っていた罪により、
刑罰が決まっていた地主達に、恩赦をかけました。
そのため、農民達は、怒りました。
そして、『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領は、
より、自分の事を、寛大に見せるため、
過激すぎて、投獄されていた保守党支持派の人々を、
次々に釈放しました。
すると、
釈放された過激派の保守党支持派の人々は、
釈放された途端に、「仕返しだ!」と言って、
自由党支持者の市民や農民を、
次々と殺し始めました。
そのため、
市民や農民は、政府に不信感を深め、
『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領に対する、
抗議デモが発生し、再び、武装化しました。
そのため、
『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領は、
「ポピュリズム(大衆主義)政策は、失敗だ!」と言って、
一転して、強硬姿勢を取り、
独裁政治を行うようになりました。
そして、
1956年2月5日、
『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領は、
大統領に、敬意を示さなかったという理由で、
軍隊を投入して、武装化した市民や農民達と、
関係ない多数の市民も含めて、大量虐殺しました。
それに対抗するため、
市民や農民達は、さらに武装化し、
「コロンビア革命軍(FARC)」を結成し、
反政府ゲリラ活動を、続ける事になりました。
『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領の政策が失敗したので、
それまで対立していた保守党と自由党の幹部たちは、
軍事政権打倒で、利害が一致したことから結託し、
1957年、『グスタボ・ロハス・ピニージャ』大統領を、退陣させました。(続く)
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