『エドワード・ジェンナー』とワクチン(3)-「人痘接種法」(2)-医療者以外による普及活動
- 2021/11/11
- 05:05
アメリカに入港したため、
アメリカでも天然痘が流行しました。
1692年から1963年にかけて起きた、
アメリカの魔女裁判「セイラム魔女裁判」で、
指導的役割を果たした、
ボストンの『コットン・マザー』牧師が、
自分の家の使用人の
西アフリカ出身の奴隷『オネシモ』から、
アフリカを離れる前に、人痘接種をしたと聞き、
人痘接種に興味を持ち、
人痘接種についての学術論文を複数読んだ結果、
天然痘の対策には、人痘接種が必要と考えました。
ちなみに、
アジアで予防法として使われてきた人痘接種は、
アフリカに伝わり、天然痘に対する予防法としても、
広く行われていたそうです。
ちなみに、
「セイラム魔女裁判」について、
話をすれば、長くなるので、後日、機会があれば…。
ちなみに、『コットン・マザー』牧師は、
神と悪魔と魔女の存在を固く信じていたので、
魔女裁判は間違っていたと、
一般に認識されるようになった後も、
「裁判は正しかった。」と主張し続けたそうです。
『コットン・マザー』牧師の著書「善行論」は、
物理学者で、政治家で、
アメリカ独立に多大な貢献をした、
『ベンジャミン・フランクリン』の愛読書だそうです。
ちなみに、
『コットン・マザー』牧師は、
ハーバード大学の卒業生で、
父親『インクリース・マザー』は、
ハーバード大学の学長だったそうです。
『コットン・マザー』牧師は、
流行時にボストンでも実施できるよう備えるべく、
人痘接種の準備していました。
それを知ったボストンの牧師や宗教家たちは、
「人が病気にかかるのは、神のなせる業。
神に祈りを捧げて、病気の猛威を、鎮める事が出来る。
神がされることに、
干渉するなどもってのほか!」と大反対しました。
そして、
1721年4月、天然痘患者を乗せた船が、
入港したことがきっかけとなって、
ボストンに、天然痘が、流行した時、
人痘接種の準備をしていた『コットン・マザー』牧師は、
ボストンの医師たちを、
人痘接種するように、資料などを持ち、
説得しようとすると、
ボストンの医師たちは、
「医療のことは医師に任せるべきで、
素人の牧師などの宗教家が、医学に対して、物を言うな!」と、
ものすごく大反対しました。
しかし、唯一、
『サブティカル・ボイルストン』医師が、
人痘接種に理解を示しました。
そして、
1721年6月、『サブティカル・ボイルストン』医者は、
自分の6才の息子と奴隷の父子の計3人に、
人痘接種を実施し、
その後、
『コットン・マザー』牧師の家族、同僚の牧師たちに、
人痘接種を実施しました。
しかし、他の医師、聖職者、そして大衆が、
激しく反対し、
『サブティカル・ボイルストン』医者の命は脅かされ、
『コットン・マザー』牧師の家に、
爆弾が投げ込まれたこともありました。
しかし、
ボストンでの天然痘の感染者5889人中、
死亡者は、844人(14.3%)だったのですが、
『サブティカル・ボイルストン』医者が、
人痘接種した242人で、天然痘による死亡者は、6人(2.5%)で、
『サブティカル(ザブディール)・ボイルストン』医者は、
人痘接種の有効性を、証明しました。
そして、
『サブティカル・ボイルストン』医者は、
1724年に英王立協会で発表し、
1726年に王立学会に選出されました。
ちなみに、
日本では、
1789年-1790年に天然痘が、
筑前国(福岡)で発生した時、『緒方春朔』医師が、
清(中国)の医学書『医宗金鑑』を参考にして、
木製のへらに盛った痘痂粉末を、
鼻孔から吸引させるという方法で、
子どもたちに人痘法を行い、成功したそうです。(続く)
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