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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(2)-「人痘接種法」(1)-ワクチン以前、東洋の古代から続く方法

天然痘は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つで、

天然痘は、治療法が無く、
当時、ヨーロッパでは天然痘が、たびたび流行し、

天然痘で、多い年で、約5万人以上が、死亡していました。

発症すると、突然の熱発と共に頭痛や四肢痛、

嘔吐や意識障害といった症状が現れ、

体温が、40度以上を越え、

その後、顔面や頭部を中心に全身に、
発疹が出て、その後、水疱となり、膿疱となり、

喉が焼かれたような激痛が走り、
物を飲み込むのも困難になり、

呼吸障害を発して、20-50%は、死ぬそうです。

幸運にも治癒しても、皮膚に色素が沈着し、
生涯、痘痕(あばた)となって残るそうです。

そのため、当時は、肖像画を描く時、
痘痕(あばた)を描かないのが、常識になっていたそうです。

ちなみに、古代エジプト王朝『ラムセス5世』も、
天然痘を患っていたそうです。

ちなみに、
18世紀、イギリスが、北米の植民地経営を巡って、
フランスと戦ったフレンチ・インディアン戦争の時、

イギリス軍は、

人類史上が初めて、戦争で意図的に「生物兵器」を使う事にし、

フランスと連携したインディアンのチェロキー族に、
親切を装って接近し、

天然痘ウイルスをすり込んだ毛布などを大量に与え、

チェロキー族は、天然痘に罹患し、多くの人々が死亡したので、

戦力は著しく低下し、

その結果、フランスは敗れ、ルイジアナをイギリスに譲渡し、

アメリカに対するイギリスの影響力が大きくなり、
アメリカは、英語圏となりました。

アメリカのインディアンの話は、長い話になるので、
後日…。

しかし、
紀元前1000年頃には、インドや中国では、
天然痘に罹患し治癒した子供は、
その後、天然痘に罹患しないことが、
経験的に分かっていたそうです。

そのため、「人痘接種法(人痘法)」と言って、
天然痘に罹患した患者の膿疱や皮膚の一部を、
健康な人に接種し、免疫を獲得していたそうです。

記録に残されている最も古い人痘法による種痘の記述は、
15世紀の中国の書物に、書かれているそうです。

イギリスの貴族階級の外交官
『エドワード・ウォートリー・モンタギュー』の夫人の、

『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』は、

イギリスにいる間に、天然痘にかかりましたが、
運良く生き残りました。

ちなみに、弟も、天然痘にかかり、死亡したそうです。

『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』は、痘痕(あばた)ができましたが、

1716年オスマン帝国(トルコ)駐在大使になった夫と、
オスマン帝国(トルコ)に行きました。

『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』は、

オスマン帝国(トルコ)で、

軽症の天然痘患者の発疹から膿を採取し、
感染していない人の皮膚につけるという、
天然痘への対策法を知り、

興味を持ちました。

その後、イギリスに戻った後、これを広める努力をしました。

しかし、イギリスの医師たちは、

「東洋の野蛮な民族のやることなんて、

アテにならない。」と言って、

なかなか信用や協力を、得られませんでした。

1721年、『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』は、
自分の娘に人痘を接種させるように、

医師『チャールズ・メイトランド』に頼みましたが、

『チャールズ・メイトランド』は、
自身のキャリアに悪影響をおよぼすことを恐れ

気が進まなかったのですが、

最終的には、
他の医師が立ち会うことを条件に同意しました。

立会人の『ジェームズ・キース』は、
天然痘で自分の子供を数人失っていたのですが、

接種の有効性を見て、6歳の息子『ピーター・キース』に、
接種を受けさせました。

接種法の口コミは広まり、

1721年8月9日、医師『チャールズ・メイトランド』は、

ニューゲート監獄の健康体の囚人6人に、

恩赦を条件に、接種試験を行う事になり、

囚人6人は、9月6日に恩赦を受けて釈放されました。

そのうちの1人が、
10月に、天然痘に直接さらされながらも生存したことで、
免疫が証明されました。

しかし、この結果に、疑問視する医師もいたそうです。

11月、ウェールズ公妃『キャロライン』は、
医師『チャールズ・メイトランド』に、
孤児に接種の試験を行うことを提案しました。

1722年までに、孤児14人を対象に試験を行い、
成功を収めました。

ウェールズ公妃『キャロライン』は、
試験の成功を見て、

1722年4月17日に、
娘『アメリア』と『キャロライン』への接種を行いました。

そして、王族への接種が行われました。

ちなみに、
『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』は、

その後、夫婦関係はうまくいかなくなり、

イギリスを出て、イタリアで暮らし、
数人の人と恋愛関係になり、

夫が亡くなった後、ロンドンに戻りましたが、
程なくして癌で死亡したそうです。

『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』と、
医師『チャールズ・メイトランド』、

そして、王族が、人痘法を行って、
その効果を見た事により、

人々も人痘への恐怖感が薄れ、少しずつ広まっていきました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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