ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(13)
- 2021/10/12
- 05:05
自分で、心臓の冠動脈が詰まって狭くなる狭心症と、
診断治療していましたが、
狭心症が急速に悪化し、
体調は悪かったのですが、
通常の業務に加え、
外科医組合の役員や外科軍医総監など仕事も多く、
多忙な日々を送っていました。
1793年10月16日、『ジョン・ハンター』は、
セントジョージ病院の理事会で、
2人のスコットランド人生徒の、
外科訓練の受け入れについて、議論していましたが、
他の理事との意見の相違がみられ、
次第に、議論がヒートアップしていて、
発言しようと立ち上がった時、
他の理事から、話を遮られたので、
怒りが沸点に達して、
胸が痛くなり、そのまま別室に行き、
ソファに倒れこんで、意識を失ったそうです。
数時間蘇生がなされましたが、死亡したそうです。
『ジョン・ハンター』は、生前、
「自分は、狭心症だと思うが、
自分が死んだら検死するように。」という遺言していたので、
弟子たちにより、病理解剖されました。
診断は、彼の生前診断どおり狭心症でした。
ちなみに、
1772年、狭心症について、
世界で初めて正確な解説を書いた『ウィリアム・ヘバーデン』の論文には、
『ジョン・ハンター』が、解剖した狭心症患者の検死所見が、
参考文献として、載っています。
『ジョン・ハンター』は、
1766年にアキレス腱を切っていましたが、
何もせず、自然に治ってしたのですが、
自分が死んだら、
アキレス腱と心臓を標本にして、
自分の博物館に展示するように、
遺言していましたが、
守られず、
棺桶に入れられて、埋葬されました。
『ジョン・ハンター』は、
自分の死後、約6億円以上かけた4階建ての豪邸や博物館を、
売りに出せば、遺族は困らないと言っていましたが、
フランス革命政府と戦争中だったイギリスの財政には、余裕はなく、
1799年に、安値で買い叩かれたそうです。
『ジョン・ハンター』は、
莫大な収入があったのですが、
そのほとんどを博物館に、つぎ込んでいたので、
残ったのは、借金だけだったそうです。
そのため、『ジョン・ハンター』の息子は、
大学で医学を学んでいましたが、退学することになったそうです。
『ジョン・ハンター』の死後、
収集した標本は、遺言により政府に、売却され、
ハンテリアン博物館となり、
イギリス王立外科医師会が管理し、
『ジョン・ハンター』の最後の弟子『ウィリアム・クリフト』が、
学芸員に任命され、助手の『リチャード・オーウェン』と共に、
整理と管理をしたそうです。

ハンテリアン博物館の『ジョン・ハンター』のコレクション
ちなみに、
兄『ウィリアム・ハンター』は、
標本だけでなく、コイン、絵画、書籍など、
多岐に渡る膨大なコレクションの持ち主で、
そのコレクションは、遺言により、
母校グラスゴー大学のハンテリアン博物館に、
寄贈されたそうです。
ちなみに、『ジョン・ハンター』は、
兄『ウィリアム・ハンター』の影響を受け、
コレクターになったと言われています。
ハンテリアン博物館は、
『チャールズ・ロバート・ダーウィン』や
『ナポレオン・ボナパルト』なども訪れたそうです。
そして、1859年、
『チャールズ・ダーウィン』の「種の起源」が発表され、
全世界が、衝撃を受け、進化論を絶賛すると、
その2年後に、
英国王協会は、今まで無視していたのに、
思い出したように、
『ジョン・ハンター』の進化論の原型、
「博物学、解剖学、生理学、
心理学、地質学にかんする小論と観察」を、
出版したそうです。
そして、
1879年、
聖マーティン教会の地下納骨堂に、
安置されていた『ジョン・ハンター』の遺体を、
イギリスで、最大のカトリック教会の
ウェストミンスター大聖堂に改葬し、
イギリス王立外科医師会によって、
「科学的外科の創始者」という銘文が、贈られたそうです。
ちなみに、
『ジョン・ハンター』は、
マッコウクジラなどの解剖もしたり、
色々な動物を飼育して、記録を取りました。
そして、人、犬、鶏、魚、ナメクジ、ウサギ、コイ、マムシ、
冬眠中の動物などの体温を測定し、
「哺乳類(恒温動物)」の体温は、
一定である事を、世界で最初に発見して、記録しました。
1791年に創立した王立獣医大学の前身の
ロンドン獣医大学の設立に、貢献したそうです。(続く)
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