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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(12)-コレクション魂巨人症チャールズ・バーン-自分の骨格標本作製方法

1782年5月6日のイギリスの新聞記事には、

「どんなにすごく珍しかろうが、ほとんどの場合、

大衆の興味を、

ひきつけることは、なかなか困難である。

しかし、
【コックスズ・ミュージアム】にいる、

生ける彫刻のアイルランド出身の

『チャールズ・バーン』は、

今までに見た事が無い程、大きい巨人だ。

絶対に、一見するべきだ!」と、

書かれていました。

1761年に生まれた『チャールズ・バーン』は、

成長ホルモンが、過剰に存在することから、

大人になっても成長し続ける巨人症で、

身長が、約2m54cmあり、

1782年頃より、

ロンドン見世物小屋【コックスズ・ミュージアム】で、

「アイルランドの巨人」と呼ばれ、人気者となっていました。

『ジョン・ハンター』は、

巨人症の体の中は、
どうなっているのかについて、どうしても知りたくなり、

『チャールズ・バーン』を訪ね、

「金はたっぷり払うから、

君が死んだら、解剖させてくれ。」と言いました。

すると、
『チャールズ・バーン』は、

「冗談じゃない。

2度と俺の目の前に、顔を出すな!」と言って、
追い返したそうです。

しかし、『ジョン・ハンター』は、諦めきれず、

人を雇って、

『チャールズ・バーン』を、見張らせて、
チャンスを狙っていたそうです。

『チャールズ・バーン』は、それに気付いて、
気味悪がっていたそうです。

そのたため、

『チャールズ・バーン』は、友人たちに、

「執念深く、気味悪い『ジョン・ハンター』に、

解剖されると思うと、ゾッとするので、

自分が、死んだら、解剖できない様に、

イギリス海峡の沖に、

重りを入れた棺桶に入れて、

深い海の底に、葬って欲しい。」と、

何度も言っていました。

その後、移り気なロンドン市民は、
『チャールズ・バーン』に、見慣れて、飽きてしまいました。

そのため、『チャールズ・バーン』は、落胆し、
毎晩のように、やけ酒を飲むようになったそうです。

そして、1783年6月、アルコール中毒で、死亡したそうです。

そして、
友人たちは、『チャールズ・バーン』の希望通りに、

『チャールズ・バーン』の遺体が入った棺桶を、

イギリス海峡の沖に出て、沈めました。

しかし、実は、『ジョン・ハンター』は、

葬儀屋を、約400万円で買収し、

『チャールズ・バーン』の友人たちが、
お別れ会の飲み会で、お酒を飲んでいる間に、

遺体の入った棺桶を、
同じ重さの石の入った棺桶に入れかえていたので、

友人たちが、遺言通り、イギリス海峡の沖に出て、
沈めた棺桶には、遺体ではなく、石が入っていました。

そして、
『ジョン・ハンター』は、
念願の『チャールズ・バーン』の遺体を、手に入れました。

時間をかけて、入念に臓器を調べながら、
解剖したかったのですが、

世間への発覚を恐れて、
秘密裏に、超速攻で、解剖し、必要な臓器を標本にし、

そして、
かねてより準備していた特大の鍋で、
煮込んで、骨格標本にしました。

その後、
『チャールズ・バーン』の話題が出なくなった頃、

イギリス王立美術院ロイヤル・アカデミーの
初代会長の人気肖像画家『ジョシュア・レノルズ』に、

お気に入りの服を着た自分の肖像画を描かせ、
その後ろに、『チャールズ・バーン』の骨格標本の足の部分を、
描かせました。


『ジョン・ハンター』と『チャールズ・バーン』の骨格標本の足の部分


『ジョン・ハンター』のコレクションで、左が『チャールズ・バーン』の骨格標本。

右は、筋肉などの組織が骨に変わってしまい、
関節が固まり動かなくなる、稀な遺伝子疾患で、

「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」という難病の
39歳の男性の骨格標本。

骨に変わってしまった部分が、
わかりやすいように、後ろ向きに展示されています。

『ジョン・ハンター』は、
世界中から、1万4千点以上の標本を集め、

1788年に、自宅の別棟で博物館を作り、

目玉の『チャールズ・バーン』の骨格標本や、
キリンやクジラなどの珍しい動物や植物や人体標本、
病気の標本などの公開を、始めました。

博物館は、年に2回公開され、

厳選された招待客だけが、見学することができたそうです。

『ジョン・ハンター』の博物館は、大好評だったので、

その後、常時展示となり、

沢山の外国人が見学に来るほど、大盛況でした。

『ジョン・ハンター』は、

来館客に、約2時間以上かけて、解説したそうです。

ちなみに、
自分も、動物園勤務の時、
動物が死亡した後、死因を調べるため、

動物病院で、数時間かけて、病理解剖した後、

頭の部分を切り落とし、鍋に入れて、

タンパク質分解酵素のパパインなどを、
水温が、37℃以下になるようにして、煮込んで、

骨格標本を作製していましたが、

骨格標本にすれば、臭くないのですが、

作製時は、すごい悪臭がしたので、

動物病院から離れた所に、遺体を持って行き、

骨格標本を、作製していました。

飼育係から、「臭い!」と苦情を受けましたが、

「動物園のためだから。」と説得しながら、
作製していました。

そして、
作製した動物の骨格標本を、
獣舎の前に、雨にあたらない様に展示し、

解説板を設置し、

動物の歯の形と働きに違いや、
トナカイの角の重さなどについて、

触れる様にして、

時間がある時に、

「わくわく観察会」と言って、

来園客に、説明していました。

ただし、現在、作製した動物の骨格標本は、

獣舎の前ではなく、
大森山動物園の資料館のガラスケースに、

触れないように、大切に飾られています。

機会があれば、見学して下さい。

自分が、動物園を勤務している時には、
ゾウ、キリンは、麻酔をかけて、治療した事がありますが、

死亡しなかったので、
解剖する機会は、無かったのですが、

数年前に、キリン、今年、ゾウが、死亡しました。

病理解剖するのに、数日かかったそうです。

でも、ゾウ、キリンの病理解剖は、
大変だったと思いますが、

ものすごく興味が、あったかも…。

ゾウ、キリンの骨格標本は、作り甲斐があるかも…、

その標本を使ったアイデアが、沢山ありますが…。

ちなみに、水族館勤務の時、
マンボウやピラルクー、ラッコなどは、
病理解剖の機会が、ありましたが、

サメ、イルカは、死亡しなかったので、

解剖した事が、なかったのですが、
ものすごく興味が、あったかも…。

ちなみに、
水族館では、遺体を、土に埋めて、
骨格標本を、作製していました。

『ジョン・ハンター』は、
様々な動物、人体を解剖し、化石の収集し、
比較検討してきた結果、

なんとなく、人間の進化について気づいて、
展示は、猿、黒人、白人の順に、頭蓋骨を
並べていました。

そして、
『ジョン・ハンター』は、
「人や動物をたくさん解剖した結果、

人類の起源が、アダムとイブだと言うなら、

それは、

アフリカ人だと確信しています。」と説明したそうです。

そして、『チャールズ・ダーウィン』より、約70年も前に、

「全ての動物は、長い時間をかけて、
共通の祖先から進化してきた。」という考えに至って、

「博物学、解剖学、生理学、
心理学、地質学にかんする小論と観察」で、

「猿は、半分は獣で、半分は人間と言ってよい。」と書きましたが、

理論が、まだ完成していない事もあり、

その上、当時は、「人間は、神が創造たもの。」と考えられていて、
まだ、理解できる人は、誰もいませんでした。

そのため、英国王協会は、異端と判断し、

発表する機会を与えず、黙殺されたので、

そのまま、書庫に埋もれたそうです。

その後、
『チャールズ・バーン』の標本の一部は、

後日、クッシング病の名前で知られている、

アメリカの脳神経外科医
『ハーヴェイ・ウィリアムス・クッシング』の元に渡り、

脳下垂体の研究に用いられたそうです。 

そして、
1909年に、『ハーヴェイ・ウィリアムス・クッシング』は、

『チャールズ・バーン』の標本を調査した結果、

下垂体直下の骨トルコ鞍が肥大していることから、

下垂体腺腫があったと診断しました。

ロンドン大学クイーンメアリー校の
『レン・ドイアル』名誉教授らは、

成長ホルモンが過剰に分泌される、
先端巨大症や下垂体の研究に、

『チャールズ・バーン』の標本が、
役立ったことを認めたうえで、

「『チャールズ・バーン』の標本のDNAは、

すでに採取しているので、
今後の研究にはそれで十分で、

『チャールズ・バーン』の標本の遺志をかなえ、

海で安らかな眠りにつかせ、

博物館には、
骨格のレプリカを展示すれば良いのでは?」と言いました。

しかし、
ハンタリアン博物館の『サム・アルバーティ』館長は、

「『チャールズ・バーン』の骨格標本は、

現在でも、家族性下垂体腺腫の研究に役立つなど、
その価値は高く、

教育、研究上の観点から、
骨格の保管を続けた方が、絶対に良いし、

可能な限り、永遠に展示し続けるつもりだ!」と言っています。

ちなみに、
北アイルランド在住の『Brendan Holland』氏は、
13歳から、爆発的に背が伸び始め、

「何故、こんなに背が高くなったのか?」と悩んでいましたが、

20歳の時、検査した結果、
下垂体性巨人症であると分かったので、
治療により、約206cmで、身長の伸びは止まったそうです。



『チャールズ・バーン』の骨格標本と、右側が『Brendan Holland』氏

その後、
『チャールズ・バーン』と遠縁であることが判明し、
共通の遺伝子変異が、特定されたそうです。
(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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