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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(11)

1765年、『ジョン・ハンター』は、
外科医の仕事で順調に稼げるようになったので、
ロンドンのアールズ・コートに、別荘を購入し、

休日の日曜日には、
アールズコートの別荘へ行き、

自然や動物とたわむれ、
息抜きをするという日々を過ごしていました。

そして、
犬や豚牛などの家畜からシマウマやライオン、
ヒョウ、キリンなどを飼育し、近所の子供達を喜ばせました。

しかし、牛とレスリングをして殺されそうになったり、
ヒョウが鎖を切って逃げ出した時には、
首をわしづかみにして捕獲するなど、
危険な事もあったそうです。

『ジョン・ハンター』のアールズ・コートに家が、
「ドリトル先生」のモデル一部とも言われています。

そして、『ジョン・ハンター』は、
標本の収集に、取り憑かれ、

コレクションのためなら、

非合法な方法でも構わず、

人間だけではなく、様々な動物も収集して、

解剖して、臓器や骨格を、標本を作製し続け、

世界中から1万4千点もの標本を、集めたそうです。

標本集めに協力していた
動物商(鳥獣売買業者)の『ゴフ』が、

診察に来た時は、

『ジョン・ハンター』は、

「様々な動物を持って来てくれる君は、

私にとって必要で、

1時間も無駄に出来ない人間だ。

待合室にいる金持ち連中は、

どうせ家に帰ったってやることはないんだから、
待たせておきゃいいんだ。」と言って、

優先的に、診察室に通されたそうです。

1785年、膝窩動脈瘤を患った馬車の御者が、
『ジョン・ハンター』の所に、来ました。

膝窩動脈瘤は、
患部が破れると死亡する危険な病気で、

当時の一般的な治療は足の切断でしたが、

『ジョン・ハンター』は、

「足を切断せずに済む方法があるが、
試してみるか?」と、馬車の御者に、聞きました。

手術代が高いと考え、

馬車の御者は、断りましたが、

『ジョン・ハンター』は、「手術料は、無料でいいよ。

その代わりに、君が死んだ後で良いので、

欲しいものがあるんだ。」と言いました。

『ジョン・ハンター』は、
沢山行った解剖や実験により、

膝周辺の血管を知り尽くしていたし、

動脈瘤に繋がる血管を、結紮する事で、
血液を他の血管に迂回させ、

問題となる部分への、血液を最小限にすれば、

動脈瘤は、自然に消滅する事を、

色々な動物を使った実験で、知っていました。

ちなみに、
自分も動物園勤務の時、
ペンギンが、マラリア等で死亡した時、
死因の特定をするための病理解剖をしましたが、

同時に、死因以外の解剖学的所見を得るため、血管の走行を調べたので、

採血が難しいペンギンの採血が、出来る様になりました。

そして、
人類史上、初の動脈瘤バイパス手術が、始まりました。

膨らんだ動脈瘤の上の部分を切り取り、
血管を糸で結紮し、その数cm上をより弱い力で結紮し、
再びその上を、さら弱く結紮し、
さらに上を徐々に弱い力で、何か所も、結紮したそうです。

『ジョン・ハンター』が活躍していた当時、麻酔が無かったので、

患者が耐えれるように、
手術は短時間で済ます必要がありました。

そのため、『ジョン・ハンター』は、

手術を、約5分で終わらしたそうです。

そして、手術は成功し、
馬車の御者は、仕事に復帰する事が、出来たそうです。

そして、馬車の御者が、別の原因で死亡した後、

手術前に約束していた通り、

足の血管は標本にされ、



現在も、グラスゴー大学のハンタリアン博物館に展示されています。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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