ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(9)-世界初の人工授精と心臓のカウンターショック
- 2021/09/19
- 05:05
「1件につき、20ギニー(約60万円)の定額制」と決まっていました。
『ジョン・ハンター』の患者は、著名人も数多くいて、
『ジョン・ハンター』は、
イギリス国王『ジョージ3世』の特別外科医に、選任され、
当時のイギリス首相『ウイリアム・ピット』の頬の腫瘍の手術、
経済学者『アダム・スミス』の痔の手術、
哲学者『デビット・ヒューム』の肝臓癌の治療などを行い、
金持ちからは、高い報酬をとりましたが、
珍しい症例、
あるいは実験台になってくれる患者、
貧乏な人は、格安で、治療した事もあったそうです。
ある時、
「定額20ギニー(約60万円)」と聞いた商店主が、
妻の手術のための治療費を、約2ヶ月間、
身を粉にして働き、ようやくお金を貯めて、
『ジョン・ハンター』の元を訪れました。
苦労して工面したことを知った『ジョン・ハンター』は、
「1ギニーだけ頂戴します。
これだけなら、自分の思慮のなさに、
心を痛めずに済みますから。」と言って、
商店主に、19ギニーを返したそうです。
そして、カイコで人工授精の実験をした後、
1776年、
不妊で悩んでいた男性の精液を、温めた注注射器に集め、
妻のヴァギナに注入したところ、妊娠しました。
この症例は、世界初の人工授精だそうです。
そして、『ジョン・ハンター』の元に、
1774年、2階から落ちたで、心停止した3歳の少女が、
運ばれてきました。
『ジョン・ハンター』は、
「心臓を、再び動かすのに唯一考えられる方法は、
電気だ!」と考え、
電気ショックを与えて蘇生することに成功しました。
これは、記録に残る人類初の除細動器による蘇生です。
1777年、『ウィリアム・ドット』司祭が、
絞首刑に処されました。
そして、『ジョン・ハンター』は、葬儀場で、
死体が運び込まれるのを待ち受け、
蘇生に挑みましたが、蘇りませんでした。
しかし、その後、
『ウィリアム・ドット』司祭が、歩いているのを見たという人が、
多くいたそうです。(続く)
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