ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(8)
- 2021/09/12
- 05:05
平均寿命は、37歳でした。
外科は刃物で、切るという事で、
18世紀以前は、外科手術は、
理髪師の仕事と考えられていて、
理髪業と外科医は、同じギルド(同業者組合)で、
18世紀半ばに、分離したばかりでした。
内科医は、患者の体を触る事は、
卑しいことだとして、
患者に触らず、見るだけで診断をし、
「体液のバランスが悪いから、病気になる。」と考えられていたので、
血を抜いたり、
浣腸したり、吐かせたり、水銀を飲ませるというのが、
主な治療でした。
外科医は、内科医より、
一段低い地位で、
手術は、汚れ仕事と考えられていて、
実際に、手術が行われるのは、
他に方法が無い時に、
悪い部分を、とにかく切断するのみで、
出来る事は、限られていました。
そして、当時は
麻酔が無かったので、
手術には、激痛を伴うので、
患者は、屈強な男に、体を押さえつけられたり、
縛られたりして、手術したそうです。
衛生概念も、無かったので、
手術の前に手洗いすらしないし、
手術前の血液検査もしなかったし、
手術の光源も良くなかったので、
傷口から感染症にかかる事が、非常に多く、
術後、死亡することもよくあったそうです。
ちなみに、
衛生概念と麻酔は、19世紀後半に普及しました。
その話については、興味深い話があるので、
後日詳しく…。
ちなみに、
当院の血液検査機器、

当院のLED手術用無影灯は、まぶしい位、明るいです。

ちなみに、
『ジョン・ハンター』は、
内科の三大治療「下剤・嘔吐剤・瀉血」の効果を、
自分で試して、意味がないことを、
身を持って知っていました。
そして、瀉血は必要な場合以外、
避けるべきだと、常々言っていたそうです。
ちなみに、
18世紀の初代アメリカ大統領『ジョージ・ワシントン』は、
呼吸器の感染症の時、
治療で大量に血を抜いて、失血性ショックと脱水症の合併症で、
死亡したと言われています。
そして、
『ジョン・ハンター』は、人体の解剖を沢山行ったので、
人体の仕組みに、精通し、
当時の常識を信じず、以前の意見に固執せず、
「自分の言ってる事は、
現在、最良だと考えている事であり、
将来は、何か新しい知見が、分かれば、変わるので、
正しいとは限らない。」と言って、
病気で死んだ人がいると解剖し、
どこに不具合が生じているのかを見つけ、
それがなぜ起こるのか?
どうしたら不具合を回避できるのか?を探求しました。
そして、推測し、仮説を考え、
動物実験を行い、
その仮説が正しいと確信してから、
外科手術を行ったので、
同時代の誰よりも、先見的な外科医となりました。
そのため、診察を受けたいという患者は、
ものすごく沢山、来たそうです。
ただし、
『ジョン・ハンター』は、
「手術はできるだけしない方が良い。」とも考えていたそうです。
セントジョージ病院には、4人の常勤外科医がいましたが、
『ジョン・ハンター』の門下生の希望が多く、
実習生の2/3以上が、来たそうです。
現在も、大学や大きな病院ならよく見る風景ですが、
門下生は、『ジョン・ハンター』の回診や手術などの際に、
大名行列のようにゾロゾロとついて回り、
見学していました。
しかし、『ジョン・ハンター』は、
自分の頭で考える医者を育てたかったので、
物足りませんでした。
そのため、
1772年に『ジョン・ハンター』は、
自宅で、門下生に向け無料講座を開き、
その後、有料の一般の人も入れる解剖教室を開設しました。
そして、解剖学、生理学、病理学など、
特に生理学重点に講義し、
健康な時の体の働きや器官の機能、
病気時の体の状態や治し方などを紹介し、
それを元に生徒が、自分自身で考える事を求めました。
毎年、講義の内容が、更新し、
多くの人に今まで教えられた事を、
根本的にくつがえすような衝撃を与えました。
そして、イギリスだけではなく、
ヨーロッパ、アメリカからも生徒が集まり、
魅了されました。
『ジョン・ハンター』の門下生で、
アメリカ初の医学校(フィラデルフィア大学)を、
創設した『ウィリアム・シッペン』と『ジョン・モーガン』は、
墓地から死体を盗んでくる手法までマネしたので、
怒った民衆が、医学校(フィラデルフィア大学)を、
襲撃したそうです。
講義のノートを取ることは禁止でしたが、
パーキンソン病を、
最初に報告した『ジェームズ・パーキンソン』ら学生達は、
講義をノートを秘密裏に記録したので、
講義内容は、残されているそうです。
『ジョン・ハンター』は、優秀な医者を多く輩出し、
門下生は考え方を受け継ぎ、
外科に科学的手法を取り入れ、医学の発展に貢献しました。(続く)
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