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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(5)

兄『ウィリアム・ハンター』は、

弟『ジョン・ハンター』の器用さを確信し、

解剖に時間をかけると、遺体の状態が悪くなるので、

弟『ジョン・ハンター』が、素早く解剖が出来る様に、

熟練解剖学者の技術を習得させるため、

夏休みなどを利用して、

1749年、外科手術を、科学的な医療として、
確立するのに大きな影響を及ぼした外科医で、
解剖学者の『ウィリアム・チェゼルデン』に、師事させました。

ちなみに、『ウィリアム・チェゼルデン』は、
著名な物理学者『アイザック・ニュートン』の最後を、
看取ったそうです。

そして、兄『ウィリアム・ハンター』は、

弟『ジョン・ハンター』を、

整形外科学の創始者の1人で、

煙突掃除人に煙突掃除人癌の多いことを報告し、
ススがその原因であると推論し、

世界で初めて、
ガンが発癌物質によって引き起こされる事を、
疫学的に示した医師『パーシヴァル・ポット』にも、
師事させたそうです。

ちなみに、兄『ウィリアム・ハンター』は、

『ジョン・ハンター』を、
オックスフォードにも行かせましたが、

一般教養が欠けていたので、

たった数ヶ月で、やめたそうです。

1754年には、『ジョン・ハンター』は、
患者を治療することが、許されるようになりました。

『ジョン・ハンター』は、
約40年に渡って、患者の記録を取り続け、
「ジョン・ハンターの症例記録」は、後世の貴重な資料となりました。

『ジョン・ハンター』は、
最先端医療と伝統などよりも観察と実験を重んじる事や、
無駄な手術をしない事などを学びました。

1760年、『ジョン・ハンター』は、肺炎になったので、

兄『ウィリアム・ハンター』の解剖教室を辞め、
静養ししました。

そして、1761年、『ジョン・ハンター』は、回復したので、
七年戦争に外科医として、約2年間、従軍しました。

そして、沢山の銃創患者を、治して活躍し、

戦況が落ち着いて暇になると、
戦場で捕まえた魚やトカゲを、
解剖したり、実験をして過ごしました。

そして、
銃創治療で、良い成績を上げたので、

医者の学校を出ていませんでしたが、

正式に、医者として認められました。

これは、
最初は、法律学校を出ていない偽弁護士だったのが、
優秀で、数多くの功績を出し、人々を助けたので、

最終的に、
審査会で認められ、本物の弁護士になると言う、
アメリカのTVドラマ「スーツ」の『マイケル・ロス』を、
思い出します。

『マイケル・ロス』とその師匠『ハーヴィー・スペクター』の関係を見ると、
水族館、動物園、動物病院で、自分導いてきた師匠たちを、思い出します。

ちなみに、『マイケル・ロス』の妻『レイチェル・ゼイン』を、
演じているのは、イギリス王室の『ヘンリー』王子の妻
『サセックス公爵夫人メーガン(レイチェル・メーガン・マークル)』です。

ちなみに、
TVドラマ「スーツ」は、アメリカ版のオリジナルとは、
雰囲気がだいぶ違う、日本と韓国のリメイク版があり、

それぞれ、設定が少し変更違うので、それなりに面白いのですが、
一番お薦めは、オリジナルのアメリカ版です。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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