ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(5)
- 2021/08/21
- 05:05
弟『ジョン・ハンター』の器用さを確信し、
解剖に時間をかけると、遺体の状態が悪くなるので、
弟『ジョン・ハンター』が、素早く解剖が出来る様に、
熟練解剖学者の技術を習得させるため、
夏休みなどを利用して、
1749年、外科手術を、科学的な医療として、
確立するのに大きな影響を及ぼした外科医で、
解剖学者の『ウィリアム・チェゼルデン』に、師事させました。
ちなみに、『ウィリアム・チェゼルデン』は、
著名な物理学者『アイザック・ニュートン』の最後を、
看取ったそうです。
そして、兄『ウィリアム・ハンター』は、
弟『ジョン・ハンター』を、
整形外科学の創始者の1人で、
煙突掃除人に煙突掃除人癌の多いことを報告し、
ススがその原因であると推論し、
世界で初めて、
ガンが発癌物質によって引き起こされる事を、
疫学的に示した医師『パーシヴァル・ポット』にも、
師事させたそうです。
ちなみに、兄『ウィリアム・ハンター』は、
『ジョン・ハンター』を、
オックスフォードにも行かせましたが、
一般教養が欠けていたので、
たった数ヶ月で、やめたそうです。
1754年には、『ジョン・ハンター』は、
患者を治療することが、許されるようになりました。
『ジョン・ハンター』は、
約40年に渡って、患者の記録を取り続け、
「ジョン・ハンターの症例記録」は、後世の貴重な資料となりました。
『ジョン・ハンター』は、
最先端医療と伝統などよりも観察と実験を重んじる事や、
無駄な手術をしない事などを学びました。
1760年、『ジョン・ハンター』は、肺炎になったので、
兄『ウィリアム・ハンター』の解剖教室を辞め、
静養ししました。
そして、1761年、『ジョン・ハンター』は、回復したので、
七年戦争に外科医として、約2年間、従軍しました。
そして、沢山の銃創患者を、治して活躍し、
戦況が落ち着いて暇になると、
戦場で捕まえた魚やトカゲを、
解剖したり、実験をして過ごしました。
そして、
銃創治療で、良い成績を上げたので、
医者の学校を出ていませんでしたが、
正式に、医者として認められました。
これは、
最初は、法律学校を出ていない偽弁護士だったのが、
優秀で、数多くの功績を出し、人々を助けたので、
最終的に、
審査会で認められ、本物の弁護士になると言う、
アメリカのTVドラマ「スーツ」の『マイケル・ロス』を、
思い出します。
『マイケル・ロス』とその師匠『ハーヴィー・スペクター』の関係を見ると、
水族館、動物園、動物病院で、自分導いてきた師匠たちを、思い出します。
ちなみに、『マイケル・ロス』の妻『レイチェル・ゼイン』を、
演じているのは、イギリス王室の『ヘンリー』王子の妻
『サセックス公爵夫人メーガン(レイチェル・メーガン・マークル)』です。
ちなみに、
TVドラマ「スーツ」は、アメリカ版のオリジナルとは、
雰囲気がだいぶ違う、日本と韓国のリメイク版があり、
それぞれ、設定が少し変更違うので、それなりに面白いのですが、
一番お薦めは、オリジナルのアメリカ版です。(続く)
- 関連記事
-
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(1)
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(2)-医学のための殺人(1)-殺人ビジネス(1)
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(4)-チチカライ
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(5)
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(6)-歯磨きの歴史
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(7)-偉大な音楽家と医者
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(8)
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(9)-世界初の人工授精と心臓のカウンターショック
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(10)-Greater siren
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(11)
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(12)-コレクション魂巨人症チャールズ・バーン-自分の骨格標本作製方法
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(13)
- ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(14)-義弟の裏切り