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動物を愛するギャング(1)-動物好きのギャングで、戦争の英雄『モンク・イーストマン』

ニューヨークのユダヤ系ギャングの
『モンク・イーストマン(エドワード・オスターマン)』は、
レストラン経営者の子供として、
1875年に、アメリカのブルックリン生まれました。

ちなみに、アメリカのギャングは、現在、150万人いますが、
元々、スラム街のアイルランド人と
イタリア人のカトリック教徒で構成されていたそうです。

しかし、
東ヨーロッパなどのユダヤ系移民が多くなり、
ギャングは、ユダヤ系の割合が多くなり、
現在は、メキシコなど南米系のギャングが、
増えているそうです。

『モンク・イーストマン』は、
ペットショップを任され、働いていたのですが、

売り物用の動物に愛着が、湧いてしまい、

売り渋りなどが原因で、売り上げが伸び悩み、

ペットショップは、潰れてしまったそうです。

その後、ニューヨークに移住し、

有名クラブ「ニューアーヴィング・ダンスホール」の用心棒を務め、
約120cmの棒を持って、ホールを周回していたそうです。

すぐに、頭角を現し、
構成員千人以上のギャング集団
「イーストマン・ギャング」のリーダーになり、

賭けトランプ、管理売春、スリや略奪犯罪からの上納金、
政治組織への武力サービスなどで、

半年で、約50人を、病院送りにしたそうです。

そのため、
近隣の病院の看護師たちは、
緊急病棟を、「イーストマン・バビリオン(イーストマンの部屋)」と、
呼んでいたそうです。

そんな時でも、『モンク・イーストマン』は、

近所を散歩中に見つけた猫や傷ついた鳩を拾い、
コートの中に入れて、持帰ったので、

自宅には、数十頭の猫、
屋上に数十羽の鳩を飼って、

肩や頭に、いつも鳩を乗せて、散歩していたそうです。

そして、ペットショップを開業し、
 
ギャング稼業が本格化した後も、

ペットショップは、続けたそうです。

そして、
労働運動に最初に介入したギャングと言われ、
ストライキをする労働者やスト破りをする者を、
病院送りにしました。

誰を襲うかは、
誰が多く金を多く払ったかによって、決まったそうです。

1904年、『モンク・イーストマン』は、傷害罪で逮捕され、
留置場にいる間に、「イーストマン・ギャング」は、解散してしまいました。

そして、
「イーストマン・ギャング」は、1909年に出所した後、

強盗、アヘン密売などを行い、数回服役したそうです。

そして、
1917年、『モンク・イーストマン』は、
第一次世界大戦で、

アメリカ陸軍第106歩兵隊"オライアンズ・ラフネックス"に入隊しました。

『モンク・イーストマン』は、ものすごく戦争に向いていたらしく、

フランスで、ドイツ相手に最前線を死守し、

敵の砲台陣地を撃破したり、

負傷した戦友を助けるため、

危険な場所に飛び込むなど、大活躍しました。

そして、戦友と固いキズナで結ばれたそうです。

1919年、終戦で除隊しアメリカに戻ると、

『モンク・イーストマン』は、戦争の英雄として迎えられました。

そして、
1920年12月26日、深夜から明け方まで、
『モンク・イーストマン」が、仲間6人と飲んでいましたが、

酒密造取締官『ジェリー・ボーハン』と金のことで、
言い争いになりました。

そして、
その場を去ろうとする『ジェリー・ボーハン』を、

『モンク・イーストマン』が、追いかけて、

侮辱の暴言を発しながら、
コートの内側ポケットに手を伸ばしました。

そのため、反射的に、
『ジェリー・ボーハン』は、5発撃ちました。

そして、
『モンク・イーストマン』は、死亡しました。

『モンク・イーストマン』は、銃を持っていませんでした。

3日後、『ジェリー・ボーハン』は、自首しました。

そして、『ジェリー・ボーハン』は、有罪となり、

最長10年刑で、シンシン刑務所に送られましたが、

『モンク・イーストマン』の死に、多くの不審点があるとして、
審理差戻しとなり、

17か月後には、釈放され、真相は闇に葬られました。

『モンク・イーストマン』の遺族が、葬式を拒否したため、

固いキズナで結ばれた戦友たちが、

「大統領より国に貢献したこの男に、
国民は報いていないどころか、

ギャング呼ばわりしている。

我々は、

アメリカを救った貢献に、ふさわしい葬式で、
送ってやるべきだ!」と、

新聞にメッセージを載せ、葬式の募金を募りました。

そして、1920年12月30日、約1万人の群衆が見守る中、
軍葬の礼により、サイプレス・ヒル墓地に、埋葬されました。

そして、墓石には、
「Our Lost Pal, Gone But Not Forgotten

(大切な仲間を失ったけど、
君の事は、永遠に忘れない。)」と刻まれました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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