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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(2)-医学のための殺人(1)-殺人ビジネス(1)

1728年2月13日、『ジョン・ハンター』は、

スコットランドのグラスゴー郊外で、

父『ジョン・ハンター』65歳、

母『アン・ハンター』43歳の

10番目の子どもとして、生まれました。

『ジョン・ハンター』は、好奇心は、旺盛で、

好きな物を見つけると、周りが見えなくなる程、
集中するのですが、

勉強全般…、特に読み書きが苦手だったので、

13歳で学校を退学し、

屋外で、虫や動物を追いかけまわしたり、
捕まえて、遊んでいたそうです。

その後、20歳になった『ジョン・ハンター』は、

手先が器用だったので、

姉の嫁ぎ先の材木商に居候しながら、

大工を志しました。

そして、
すぐに、頭角を現しますが、

仕事場が、倒産しました。

そのため、
1748年、『ジョン・ハンター』は、

医師、解剖学者として成功を収めていた、

10歳年上の次兄『ウィリアム・ハンター』を頼り、

ロンドンに行き、
助手として、働き始めました。

ちなみに、『ジョン・ハンター』は、
年が離れていたので、次兄『ウィリアム・ハンター』とは、
ほとんど一緒に住んだことは、無かったそうです。

当時、外科は、系統だって勉強できるところはなく、

解剖学教室や生理学教室など、
多くの民間学校が立ち並んでいました。

外科の知識と技術を習得するには、
実際に、人体を切ったりして、
経験を積む必要性がありましたが、

その機会が、あまり無かったので、

当時の外科医は、圧倒的に経験不足でした。

ヨーロッパの大陸側では、

解剖学教室が開かれ、
人体についての知識を深めようとする医学生が、
詰めかけて大盛況でした。

しかし、
イギリスには、解剖学教室が無かったので、

兄『ウィリアム・ハンター』は、そこに目をつけ、

ロンドンで、解剖学教室を開校しました。

そこでは、標本を見て学ぶだけでなく、
実際に、人体を解剖をすることが出来るという事で、
若い医学生に、大変人気がありました。

兄『ウィリアム・ハンター』は、『ジョン・ハンター』に、

出来るだけ遺体を、集める様に指示しました。

ちなみに、
中世以前では、信仰心が、異常に強く、

つつましやかに暮らしていけば、

最後の審判で、肉体が復活し、
天国に行けると信じられていたので、

解剖などで、遺体をバラバラにしたら、復活できないので、

解剖は、死者への冒涜と考えられていました。

ちなみに、15世紀頃から、
死体の服や宝飾類を盗む墓泥棒がいたそうです。

当時、死体の服や宝飾類を盗むことは、犯罪でしたが、

死体そのものを盗むことは、違法ではありませんでした。

富裕層は、墓泥棒対策のため、

墓場の警備強化を行い、

棺を石板などにして、
簡単に、棺を開けられない様にしたり、

死体の首に鉄の首輪をつけ、
釘やネジでその木片を棺の底に固定したり、

棺の蓋がこじあけられたら、
すぐに爆発するよう火薬を仕掛けたり、

墓をこじ開けようとしたら、
発砲されるように銃を仕掛けたり、

トラばさみを、仕掛けたりして、
色々な対策をしていたそうです。

ちなみに、1616年に死亡した、
有名なイギリスの劇作家
『ウィリアム・シェイクスピア』の墓には、



「良き友よ、イエスの名にかけて、

ここに葬られし亡骸を掘り起こすな。

この石を動かさざる者に、幸あれ。

そして、我が骨を暴きし者に、災いあれ。」と書かれています。

そのため、解剖用の死体を集めるのは、

容易な事では、ありませんでした。

そのため、『ジョン・ハンター』は、
墓泥棒に、死体を盗む事を、頼みました。

『ジョン・ハンター』は、酒好きで、気取らず、
スコットランド訛りだったので、

死体泥棒から、
大変気に入られていたそうです。

しかし、
欲しい年齢、体格、妊婦などの死体があるのに、

死体泥棒に連絡が取れない時などは、

『ジョン・ハンター』自身で、

夜中に、埋葬さればかりの墓を掘り返して、

塩水の入ったタルに、死体を入れて、盗んでいたそうです。

ちなみに、
15世紀の博学者『レオナルド・ダ・ヴィンチ』は、
秘密裏に、人間を約30体、解剖したそうです。

当時、イギリスの医学校では、医学が進歩するにつれて、
解剖学の教育と研究用に、使用する遺体の需要が、急上昇し、

合法的に得られる死体の供給が不足していました。

そのため、手段を問わない犯罪者集団がここにつけ込み、

1831年の調査では、7つの死体泥棒集団が、
「復活屋」と言って活動し、
ロンドンだけで、約2百人ほどの死体泥棒がいて、
ほとんどが、パートタイム労働者だったそうです。

死体泥棒は、教会の寺男、墓掘り人、葬儀屋、地元当局など、

多く情報提供者のネットワークを通じて、
死体を見つけていたそうです。

ちなみに、
熟練した死体泥棒は、1体盗むのに約15分で、
一晩で、10体は盗めたそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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