ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(1)
- 2021/07/01
- 05:05
有名な『ドリトル先生』の家は、
イギリスの架空の町パドルビーにあり、
その庭には、
たくさんの動物たちが住んでいました。
『ドリトル先生』は、
博物学者で、腕の良い医師でしたが、
屋敷の動物たちが、
患者に迷惑をかける騒動が相次いで、
人間の患者は誰も寄り付かなりました。
『ドリトル先生』のモデルの1人は、
「科学的外科の創始者」の『ジョン・ハンター』だと言われています。
確かに、ロンドンのにあった、
カリスマ医師『ジョン・ハンター』の屋敷には、
生きたヒョウやライオン、シカ、シマウマ、水牛、
そして、当時珍しかったキリン、カンガルーなどの動物がたくさんいて、
子どもたちが、いつも見学しに、庭を訪れていたそうです。
しかし、
「ドリトル先生」とは、少し違う顔を持っていて、
『ジョン・ハンター』の屋敷の中には、
動物、人間の臓器や骨格標本が、所狭しと並んで、
また、
地下の実験室では、動物や人間を解剖し、
大きな鍋で茹でて、骨にして標本を作っていましたが、
骨や解剖の残骸が何年も放置され、
悪臭が立ち込めていたそうです。
『ジョン・ハンター』が、外科学発展のため、
生涯切り刻んだ人体は、数千だそうです。
当時、解剖学者は、遺体を損壊し、
死後の復活を妨げると言われ、嫌悪されていたそうです。
『ジョン・ハンター』は、
約6億円以上かけた、4階建ての豪邸の
表通りに面した医院の玄関は、
患者や妻『アン・ハンター』の社交界の友人やが出入りし、
中庭を通って真ん中の建物は、講義の為の教室、
2階は博物館。
真ん中の建物を出ると、
博物館に入りきらなかった、
クジラの骨格標本があります。
そして、別棟には、入りきらなかったコレクション、
住み込みの弟子や家政婦の住居、
一番上の部屋は、解剖室になっていました。
そして、
人通りの少ない裏通りに面した裏口は、
解剖のための死体搬入、搬出、
解剖教室の学生の出入口でした。
『ジョン・ハンター』には、医者としての昼の顔と、
死体調達のための墓荒しをする裏の顔がある事から、
「ジキル博士とハイド氏」のモデルとなりました。
ちなみに、
「ジキル博士とハイド氏」のモデルは、もう一人いて、
18世紀のエジンバラの市議会議員で、
石工ギルド組合長『ウィリアム・ブロディー』で、
約18年間、昼間は実業家、
夜間は盗賊として働き、
最後には捕まり、処刑されたそうです。(続く)
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