ルイ14世(2)-羨ましかった二コラ・フーケのモノマネ(2)-フランス料理(1)-命を懸けたフランソワ・ヴァテール
- 2021/06/06
- 05:05
『二コラ・フーケ』の城で、
とても美味しかった料理を、食べて羨ましかったので、
その料理をつくった、
『フリッツ・カール・ヴァテル(フランソワ・ヴァテール)』を、
呼びましたが、
『フランソワ・ヴァテール』は、
これを嫌って、イギリスに逃亡しました。
そして、
『フランソワ・ヴァテール』は、
ほとぼりが冷めたところで、フランスに帰国して、
名将『ルイ2世・ド・ブルボン(大コンデ)(コンデ公)』に、
仕えました。
1671年、『コンデ公』は、自分の城のシャンティイ城で、
王族や有力貴族を招いて、大祝宴を行うことにし、
『フランソワ・ヴァテール』に、大祝宴の総指揮を命じました。
『コンデ公』は、この祝宴で、王の歓心を買い、
オランダ侵略戦争の指揮が、
自分に命じられるよう工作するつもりでした。
この祝宴は、3日間続き、歴史に残る豪華さで知られています。
しかし、
準備期間が短かったこともあって、現場は大変でした。
2日目の晩餐で予定外の人数の多さから、
肉の不足が生じました。
そのため、
『フランソワ・ヴァテール』が、気にして、
ものすごく落ち込んでいたので、
『コンデ公』は、
「気にしなくても良い。」と慰めたそうです。
その日の夜は、花火を打ち上げて、
盛り上げる予定でしたが、
悪天候のため、不調に終わりました。
3日目の早朝、『フランソワ・ヴァテール』が、
その日に使用する魚介類の到着を確認すると、
天候不順のため、
ごくわずかの量しか届いていなかったそうです。
通常なら、天候不順でも、大丈夫なように、
フランス各地の港で買い付けていたのですが、
忙しくて、『フランソワ・ヴァテール』は、
そこまで手が回りませんでした。
そのため、
『フランソワ・ヴァテール』は、
今回の祝宴を、
一世一代の大勝負と言う位の意気込みだったのに、
祝宴の計画が破綻したと思い込み、
自室に戻ると剣を抜き、
自分の体に、3度突き刺して、自殺しました。
しかし、
『フランソワ・ヴァテール』の死とほぼ同じ頃、
たくさんの魚が到着し、
祝宴は予定通り進められて、成功をおさめたそうです。
この祝宴は参加した人々によって、
長く語り継がれるほどの印象を残しました。
後日、ある料理人が、
「『フランソワ・ヴァテール』の悔恨は良い事だ。
しかし、決して彼を模範とするなかれ。」と言ったそうです。(続く)
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