不食(4)-焼き肉のタレ
- 2021/05/08
- 05:05
生き延びられる限界の生死を分けるのは、72時間と言われますが、
日本では、「焼き肉のタレで、
20日以上生き延びた!」という、有名な事件があります。
2006年10月7日に、
西宮市職員『打越三敬』さん(当時35歳)が、
兵庫県神戸市六甲山頂で、
西宮市役所の同僚ら15人と、バーベキューを行ったそうです。
バーベキュー終了後、
六甲ケーブルの六甲山上駅で、
『打越三敬』さんは、
「切符をなくしたが、持ち合わせも少ないし、
天気が良くて、気分も良いから、
2時間位かかるけど、歩いて下りる。」と言って、
バーベキューで、残った焼き肉のタレを、持って、
1人で、ほろ酔い加減で歩きながら、
気分良く、下山していました。
しかし、
下山道の入り口を探している途中に、
迷ってしまったので、
あせってしまい、
足元をよく見ていなかったので、
足を滑らせて、斜面を約10m転落し、
骨盤を骨折し、動けなくなりました。
持っていたカバンには、
ペットボトル1本の水と、
半分ほど残っていた焼き肉のタレと、
下着やタオルのほか、携帯電話、
そして、財布には、約1万円が入っていたそうです。
ちなみに、
携帯電話は、水に、濡れて使えなかったそうです。
最初は、ペットボトル1本の水と、
焼き肉のタレを飲みましたが、
10月9日頃に、意識を失ったそうです。
県警は、10月11日に、通報を受けて連日捜索し、
西宮市職員も、延べ約400人が休暇を利用して、
捜索に加わり、
チラシ約2万枚を近隣の駅で配るなどしましたが、
発見できませんでした。
そして、24日後の10月31日、
偶然に、通りかかった登山客が、
山中の砂防ダムの堤防内に倒れて、
仮死状態になっていた『打越三敬』さんを発見したので、
すぐに神戸市内の病院へ搬送されましたが、
手足に凍傷を負い、
しばらくは、意識不明の状態で、
ほとんどの臓器が機能停止状態でしたが、
その後、1週間後には、順調に回復し、
後遺症も残ってないそうです。
診察した医師は、
「通常、体温が25度を下回ると、
死亡率が高まると言われていますが、
体温が約22度という極度の低体温症でした。
おそらく、
動物の冬眠に近かったと思う。
驚異的な生命力だ。」と説明しました。
訪れた旅館で、軽い気持ちで六甲山を、散歩しようとしたら、
雪が、どんどん降ってきて、遭難するという、
『新田次郎』の「八甲田山死の彷徨」をもじった、
『筒井康隆』のパロディ小説「六甲山死の彷徨」を、
思い出します。
「焼肉のタレで、生き延びた!」との報道を聞いた、
焼肉のタレのエバラ食品は、
「焼肉のタレには、砂糖が入っているので、
それがエネルギーになったと思います。
他にも、しょうゆなどの塩分も入っています。
生きていくために必要な水分とエネルギー補給が、
極限状態での生命維持につながったようなので、
一命をとりとめられたことが、
何よりも幸いな事です。」と、説明しました。
しかし、その後の記者会見で、
『打越三敬』さんは、
「焼肉のタレを、少し飲みましたが、
焼肉のタレは、焼き肉につけたら、とても美味しくなるけど、
焼肉のタレだけでは、
とても、飲めるものじゃないと思い、
その後は、焼肉のタレを飲みませんでいた。
ちなみに、2日後には、気を失っていたので、
その後は、食べ物だけでなく、水すら飲んでいなかったので、
焼肉のタレで、生き延びたわけではない。」と笑いながら、
「焼肉のタレで、生き延びた!」との報道を、否定しました。
それを聞いた、エバラ食品は、愕然としたそうです。
そして、…。(続く)
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