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不食(4)-焼き肉のタレ

一般的に、事故などで、人間が飲まず食わずで、
生き延びられる限界の生死を分けるのは、72時間と言われますが、

日本では、「焼き肉のタレで、
20日以上生き延びた!」という、有名な事件があります。

2006年10月7日に、
西宮市職員『打越三敬』さん(当時35歳)が、

兵庫県神戸市六甲山頂で、
西宮市役所の同僚ら15人と、バーベキューを行ったそうです。

バーベキュー終了後、

六甲ケーブルの六甲山上駅で、

『打越三敬』さんは、

「切符をなくしたが、持ち合わせも少ないし、

天気が良くて、気分も良いから、

2時間位かかるけど、歩いて下りる。」と言って、

バーベキューで、残った焼き肉のタレを、持って、

1人で、ほろ酔い加減で歩きながら、
気分良く、下山していました。

しかし、
下山道の入り口を探している途中に、
迷ってしまったので、

あせってしまい、

足元をよく見ていなかったので、

足を滑らせて、斜面を約10m転落し、
骨盤を骨折し、動けなくなりました。

持っていたカバンには、

ペットボトル1本の水と、
半分ほど残っていた焼き肉のタレと、

下着やタオルのほか、携帯電話、

そして、財布には、約1万円が入っていたそうです。

ちなみに、
携帯電話は、水に、濡れて使えなかったそうです。

最初は、ペットボトル1本の水と、
焼き肉のタレを飲みましたが、

10月9日頃に、意識を失ったそうです。

県警は、10月11日に、通報を受けて連日捜索し、

西宮市職員も、延べ約400人が休暇を利用して、
捜索に加わり、

チラシ約2万枚を近隣の駅で配るなどしましたが、
発見できませんでした。

そして、24日後の10月31日、

偶然に、通りかかった登山客が、

山中の砂防ダムの堤防内に倒れて、
仮死状態になっていた『打越三敬』さんを発見したので、

すぐに神戸市内の病院へ搬送されましたが、
手足に凍傷を負い、
しばらくは、意識不明の状態で、

ほとんどの臓器が機能停止状態でしたが、

その後、1週間後には、順調に回復し、
後遺症も残ってないそうです。

診察した医師は、

「通常、体温が25度を下回ると、
死亡率が高まると言われていますが、

体温が約22度という極度の低体温症でした。

おそらく、
動物の冬眠に近かったと思う。

驚異的な生命力だ。」と説明しました。

訪れた旅館で、軽い気持ちで六甲山を、散歩しようとしたら、
雪が、どんどん降ってきて、遭難するという、
『新田次郎』の「八甲田山死の彷徨」をもじった、
『筒井康隆』のパロディ小説「六甲山死の彷徨」を、
思い出します。

「焼肉のタレで、生き延びた!」との報道を聞いた、

焼肉のタレのエバラ食品は、

「焼肉のタレには、砂糖が入っているので、
それがエネルギーになったと思います。

他にも、しょうゆなどの塩分も入っています。

生きていくために必要な水分とエネルギー補給が、
極限状態での生命維持につながったようなので、

一命をとりとめられたことが、
何よりも幸いな事です。」と、説明しました。

しかし、その後の記者会見で、

『打越三敬』さんは、

「焼肉のタレを、少し飲みましたが、
焼肉のタレは、焼き肉につけたら、とても美味しくなるけど、

焼肉のタレだけでは、
とても、飲めるものじゃないと思い、
その後は、焼肉のタレを飲みませんでいた。

ちなみに、2日後には、気を失っていたので、

その後は、食べ物だけでなく、水すら飲んでいなかったので、

焼肉のタレで、生き延びたわけではない。」と笑いながら、

「焼肉のタレで、生き延びた!」との報道を、否定しました。

それを聞いた、エバラ食品は、愕然としたそうです。

そして、…。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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