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フランス革命(20)-バスティーユ牢獄(7)-10人の生首(4)

動物の解体が得意な、
肉屋『ジューヴ・ジュールダン』らにより、

バスティーユ牢獄司令官『ベルナール=ルネ・ド・ローネー』と、
バスティーユ牢獄の守備隊6人と、

パリ市長『ジャック・ド・フレッセル』は、首を斬られて、

『永井豪』先生の漫画「デビルマン」の主人公『不動明』の
友人以上恋人未満の『牧村美樹』らの

最後の衝撃的シーンの様に、

8人の生首を、槍の先に刺して高く掲げ、
数時間、市庁舎前の広場から通りを練り歩いた後、

翌日、8人の生首は、セーヌ川に、捨てられました。

フランス革命前、飢饉はよく起こりましたが、

それらは、全てが、自然発生的なものばかりとは言えず、
行政や買占め業者の思惑による、作為的な飢饉もありました。

元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』は、
穀物を買い占めておいて、

市場を操作して穀物価格を、釣り上げし、

飢饉が起きた時、

「パンが無く、飢えたら草を食え。

俺が大臣になったら、干草を食べさせてやるので、
それまで、辛抱しろ!

俺の馬だって、
干草を食っているんだ!」と言っていました。

そのため、
元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』は、
庶民が嫌いな人物No1でした。

そのため、
元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』は、

1789年7月14日のバスティーユ襲撃を聞き、

身の危険を感じたので、

脳卒中で死んだかのように偽装し、
葬式を上げ身を隠しましたが、

1789年7月22日、

自宅に隠れていた所、
暴徒化した群衆に見つかり、
捕らえられました。

そして、暴徒化した群衆は、飢饉の元凶だと言って、

元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』の口に、
干草を入れれるだけ詰めて、

グレーヴ広場の街灯に、吊るし首にしました。

しかし、縄が、3回も切れ、

そのたびに、元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』は、
地面にたたき落されましたが、

死ななかったので、首を斬り、長い棒の先に突き刺して、
行進したそうです。

そして、元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』の娘婿で、

パリ知事の『ルイ・ベニーニュ・フランソワ・ベルティエ・ド・ソーヴェニー』も、

パリの食糧危機に責任ありという理由で、
グレーヴ広場に連れて来られ、

街灯に吊るした後、首を斬り、長い棒の先に刺して、

棒の先についた『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』と
『ルイ・ベニーニュ・フランソワ・ベルティエ・ド・ソーヴェニー』の

生首を、くっつけて、「義父(おやじ)にキスしろ!」と叫んだそうです。

そして、2人の生首は、セーヌ川に、捨てられました。

そして、暴徒化した群衆は、次第に歯止めが利かなくなり、

「人民の正義は、王の目の前でも、執行できる。」事を示すため、

パリ市庁舎の『ルイ14世』の胸像の目の前にある、

グレーヴ広場とヴァヌリ通りの街灯を、絞首台として用いて、

次々に、気に入らない人々を、街灯に吊るして、絞首刑にしました。

例えば、
売るパンが無かったから、パンを売っていなかったのに、
パン屋が悪いという事で、

パン屋の『ドニ・フランソワ』を店から引きずり出し、
「街灯に吊るせ!街灯に吊るせ!」と言いながら、
首に縄をかけて、街灯に吊るして、絞首刑にしました。

ちなみに、
1789年8月、
フランス革命を先導した、
ジャーナリスト『カミーユ・デムーラン』
は、
街中で行われている私刑の数々を弁護するため、

「パリの街頭吊るしについての議論」で、

「私は、街灯の代理人だ!」と言って、

「街灯が、人民に語る。
私はいつもここにいる。
お前たちは、いつでも、
私を使えばよい!」と書いた物を発行しました。

そして、1789年の
フランス革命時のパリの流行語大賞は、
「街灯に吊るせ!」となりました。

そして、その時に、流行した、
革命歌「サ・イラ(ア・サ・イラ)(アサイラ)」にも、
「貴族を街灯に吊るせ!」という一節があります。
出だしの所は、青森のねぶた祭りの掛け声「ラッセラー」に似ています。


ちなみに、
最初に、街灯に吊るされた人物は、
元陸海軍総監『ジョセフ・フーロン・ド・ドゥエ』でした。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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