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フランス革命(14)-バスティーユ牢獄(1)-マルキ・ド・サドとシャンパン

革命直前の1789年7月2日、

バスティーユ牢獄から、

小説家『ドナスィヤン・アルフォンス・
フランソワ・ド・サド(マルキ・ド・サド)』が、

「ここでは、革命のために、
特権階級に抵抗した政治犯を、殺し続けている!

武器弾薬もたくさんある!

政治犯の私も殺される!

一刻も早く、私を出してくれ!」と、
何度も大声で叫んだそうです。

そして、
それを聞いた人たちが、

バスティーユ牢獄には、

武器弾薬がたくさんあって、
政治犯がたくさんいると、うわさしたそうです。

その影響から、
バスティーユ襲撃が、計画されたそうです。

ただ、『マルキ・ド・サド』は、

バスティーユ襲撃直前に、

別の刑務所に移されそうです。

ちなみに、
小説家『マルキ・ド・サド』は、性的倒錯者で、

相手に、精神的で身体的な屈辱と苦痛を、
与えることによって、
性的な快楽や満足を得る事を趣味とし、

自分の行った罪悪感や
周りから嫌悪の目で見られる事にも、興奮したので、

相手に対して、
精神的、身体的な屈辱と苦痛を与えることによって、
性的な快楽や満足を得ることを意味する「サディズム」は、

『マルキ・ド・サド』の名前に因んで、名付けられたそうです。

『マルキ・ド・サド』は、1740年6月2日、

南フランスのプロヴァンス地方の由緒ある、
裕福な名門貴族の家に生まれ、

厳格な父の体罰によって、しつけされ、

高等な教育を受け、

その後、
軍人を志して、騎兵連隊の大佐となりました。

しかし、仕事より、

もっぱら、下僕を連れて、

近隣の若い女性や子供、そして、家畜に対して、
変態行為や鞭打ちをして、楽しんでいたそうです。

ちなみに、
他人を鞭打って、楽しむ事が多いのですが、

自分が、鞭打たれる事も、好んだそうです。

そして、
最初、金持ちの治安判事の娘に、
求婚したのですが、断られたそうです。

その代わり、求婚した娘の姉の

『ルネ・ペラジー・コルディエ・ド・
ローネー・ド・モントルイユ』と結婚し、

息子2人、娘1人が、生まれたそうです。

結婚してからも、
娼館や怪しい場所に入り浸ったそうです。

甲虫のツチハンミョウ科の
スパニッシュフライに含まれている、


スパニッシュフライ

有機化合物のカンタリジンを摂取すると、
尿道の血管を拡張させて充血を起こすのですが、

これが、性的興奮に似ているので、

ヨーロッパでは、古代ギリシャ時代より、
スパニッシュフライを粉にした物を、
催淫剤として、使われていたそうです。

裁判記録によると、『マルキ・ド・サド』は、
スパニッシュフライの粉を、大量にお菓子に入れて、
5人の娼婦に食べさせて、殺しかけたり、

近隣の子供6人を監禁し、変態行為をしたり、

嫌がる若い男を、監禁し、変態行為をしたり、

36歳の貧しい未亡人『ローズ・ケレル』を、
金で誘惑し、監禁し、変態行為をしたりなど、

多種多様な変態行為を、行ったそうです。

そして、そのたびに、逮捕され、

「毒殺未遂と肛門性交の罪」で、死刑判決が出ています。

もしかすると、
『マルキ・ド・サド』は、逮捕監禁も、
快楽に感じていたかもしれません。

ちなみに、
古代ギリシャ時代の「医学の父」『ヒポクラテス』の時代から、

乾燥したスパニッシュフライの粉は、

尿失禁、膀胱炎、神経痛の治療薬として使われたり、

皮膚に塗る事により、水泡ができて、
その部分が剥がれ落ちて、
新しい皮膚が再生するので、

イボ取りや発毛剤に、使われていたそうです。

ちなみに、
乾燥したスパニッシュフライの粉を、
暗殺用の毒薬としても、使われていたそうです。

現在、日本では、
カンタリジンは、毒薬に指定されていますが、

決められた量で、
漢方やホメオパシーなどに、使用されているそうです。

ちなみに、
『マルキ・ド・サド』は、

虐待と放蕩などの罪で、

生きている間は、刑務所を出たり入ったり…、

どちらかと言うと、刑務所外より、刑務所内にいる事が多く、

小説のほとんどは、獄中で、書かれたものだそうです。

小説家『マルキ・ド・サド』の作品は、

過激で卑猥で残酷な描写が多く、
快楽と苦痛、美と醜、拷問と死刑の描写は、
色々な形で描かれて、

徹底した無神論を貫き、

道徳や法律を無視し、
究極の自由と、個人の肉体的快楽を、
より深く追求することを目的に、書かれているそうです。

ただ、時々、著書に、

「こんな乞食みたいな作者が、
書いた本なんて気にしない事だ。」、

「こんな馬鹿げた話を、
小説にして発表する作者が、いるとも思えないけどね。」、

「人類の記憶から、
くだらない自分の記憶が、消し去られる事を望む。」と、

自分の事を自虐的に、書いています。

『ナポレオン・ボナパルト』は、

自身の快楽を追求するために、
家族や友人といった親しい人間を、
あらゆる方法で殺すという、

匿名で出版されていた「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」や、

美徳を守ろうとする者には、不幸が降り掛かり、

悪徳に身を任せる者には、繁栄が訪れるという、

匿名で出版されていた「美徳の不幸」を読んで、

吐き気を催すほど、嫌悪感を持ったので、

著者を探し出し、

著者の『マルキ・ド・サド』を逮捕させ、

裁判なしで、

そのまま、
1803年にシャラントン精神病院に入院させ、

その後、13年間、1814年に死ぬまで、
入院させていたそうです。

『マルキ・ド・サド』の著書は、
たびたび発禁処分を受けながらも、

当時の好事家は、『マルキ・ド・サド』の著書を求め、
ポルノとして楽しんだそうです。

一方で、
哲学的な話、支配者側の心理、
異常性欲について、詳細に描かれ、

登場人物が、紙に書かれたのを見るという形で、

政治的な主張、批判を描いていたので、
当時の為政者を、激怒させていました。

そして、『マルキ・ド・サド』の生きている間は、
評価されなかったのですが、

20世紀に入ってから、評価が高まり、
『マルキ・ド・サド』の著書は、日本でも翻訳されました。

しかし、「悪徳の栄え事件」と言って、
日本でも、『マルキ・ド・サド』の著書
「ジュリエット物語または悪徳の栄え」が、
わいせつ文書であるとされ、裁判になり、
罰金刑となり、

後日、全訳ではないのですが、
一部、削除されて、出版されました。

そして、『マルキ・ド・サド』が、
1785年にバスティーユ監獄内で、
33枚の羊皮紙に執筆し、

長さ12メートルの巻紙にして、
石の陰に隠されていた、
「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」の直筆原稿を、

2017年、フランス文化省は、国宝に認定しました。

ちなみに、
『マルキ・ド・サド』の妻

『ルネ・ペラジー・コルディエ・ド・
ローネー・ド・モントルイユ』は、

夫を見捨てる事なく、貞淑な妻として、
子を育てながら、ずっと援助を行っていたそうです。

ちなみに、
『マルキ・ド・サド』は、

「人生で最も重要な物は、シャンパンである。

シャンパンは、
贅沢の極致、洗練、強さ、喜び、
そして、感覚と思想を、
常に、刺激し続けるものだ。

そして、
若い娘に、教育をほどこすには、

シャンパンに、勝る物は無い。」と言ったそうですが、

『マルキ・ド・サド』の直系の

5代目の子孫で、国会議員の『チボー・ド・サド』氏は、

自分の畑のブドウだけで、シャンパンをつくる、
栽培醸造家の名門『ミシェル・ゴネ』と協同で、

シャンパンを、製造しているそうです。


1990年、『マルキ・ド・サド』の生誕250年を記念した、
シャンパン「マルキ・ド・サド・グランクリュ」


『マルキ・ド・サド』の肖像画と
シャンパン「マルキ・ド・サド・グランクリュ」を、
片手にした『チボー・ド・サド』氏

ちなみに、
フランス革命のきっかけとなった『ジャン=ジャック・ルソー』は、
自分が、鞭打たれる事などで快感を感じる、
マゾヒズムという性癖でした。
(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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