フランス革命(16)-バスティーユ牢獄(3)-鉄仮面(1)
- 2021/03/16
- 05:05
フランス革命で有名なバスティーユ牢獄は、
「鉄仮面」が、入っていた事でも有名です。
「鉄仮面」は、
小説や映画だけの架空の人物ではなく、
実在の人物で、
一般的には、鉄製の仮面を、
常に着用しているイメージですが、
実は、鉄ではなく、
ビロード製の覆面で、
人と面会する時にだけ、着用していたそうです。
ただし、
人前でマスクを取ろうとすれば、
その場で殺害せよとの指示が、
出されていたそうです。
「鉄仮面」は、逮捕された時、
「陛下は、私の死をお望みか?」と聞いたそうです。
そうでないと分かると、
逃亡を図ることもなく、
その後、おとなしく、幽閉生活を送ったそうです。
そして、
1669年、『ルイ14世』の側近から、
ピネローロ監獄の監獄長『サン・マール』に、
直接、預けられました。
バスティーユ牢獄に、残っている資料によると、
「他の囚人とは違い、
囚人は、常にマスクで顔を覆われ、
『サン・マール』が管理し、
ものすごく丁重に扱われていた。」と記録されています。
その後、「鉄仮面」は、
監獄長『サン・マール』の転勤に従って、
エグズィル要塞、サント・マルグリット島監獄、
そして、
1698年、バスティーユ牢獄に、移送され、
『サン・マール』が管理し、世話をする係でも、
「鉄仮面」の素顔を、1度も見た事が、なかったそうです。
どこの監獄でも、
『ルイ14世』のポケットマネーで、生活費などが出され、
3重の扉と4本の鉄格子の付いた特別な独房でしたが、
丁重に扱われ、毎日、極上の下着を支給され、
食事も豪勢で、
更に大臣たちが、手紙で暮らし向きを聞いてきたり、
何か必要な物があれば、
すぐに、それをもらえると言う好待遇だったそうです。
そして、牢番は、用事がある時以外、
例えば、
着替えや食事の時など、
部屋を見る事が、禁止され、
部屋に入る時は、声を掛けてから、
入っていたそうです。
そして、監獄長『サン・マール』は、
口止め料として?莫大な報酬が、与えられたそうです。
1703年11月19日、
約34年間、幽閉されていた、
「鉄仮面」が死亡した時、
『マルショワリー』という偽名で葬られ、
顔が分からない様に潰され、
獄舍の居室の品は、すべて燃やされ、
使用していた銀や銅製品は、すべて溶かされて、
室内は、石材の芯が露出するまで削られた後、
壁は、全て、白く塗り直され、
扉と窓は、すべて外され、新品に交換され、
所有物は、全て、跡形も無く、燃やされたそうです。
そして、
現在も、その正体は不明ですが、
訛りの無い流暢なフランス語をしゃべるフランス人で、
カトリック教徒で、
体格が良く、教養があり、旅行経験豊富で、
薬物に詳しかったと言われています。
『ルイ15世』は、
曽祖父『ルイ14世』や、
父『ブルゴーニュ公ルイ』から、
「鉄仮面」の正体を聞いていたそうですが、
孫の『ルイ16世』が、
「鉄仮面」の正体について、
何度も聞いたのですが、
教えなかったそうです。
「鉄仮面」の正体については、
『ルイ14世』の兄説、二重スパイ説、
軍法違反を犯して逮捕された元将軍など、
色々な説がありますが、
最新の説では、
『ルイ14世』の教育係の、
『ジュール・レイモン・マザラン
(マザラン枢機卿)』の横領など
会計上の秘密や、
『ルイ14世』の出生上の秘密を、
知ってしまった、
『ルイ14世』の庶兄と言われていて、
『ルイ14世』と顔が似ていた、
会計係の『ユスターシュ・ドージェ』と言われています。
でも、本当の所、分からないそうです。
誰?
後日詳しく…(続く)
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