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フランス革命(16)-バスティーユ牢獄(3)-鉄仮面(1)

ちなみに、
フランス革命で有名なバスティーユ牢獄は、

「鉄仮面」が、入っていた事でも有名です。

「鉄仮面」は、

小説や映画だけの架空の人物ではなく、

実在の人物で、

一般的には、鉄製の仮面を、
常に着用しているイメージですが、

実は、鉄ではなく、

ビロード製の覆面で、

人と面会する時にだけ、着用していたそうです。

ただし、
人前でマスクを取ろうとすれば、

その場で殺害せよとの指示が、

出されていたそうです。

「鉄仮面」は、逮捕された時、

「陛下は、私の死をお望みか?」と聞いたそうです。

そうでないと分かると、

逃亡を図ることもなく、
その後、おとなしく、幽閉生活を送ったそうです。

そして、
1669年、『ルイ14世』の側近から、
ピネローロ監獄の監獄長『サン・マール』に、
直接、預けられました。

バスティーユ牢獄に、残っている資料によると、

「他の囚人とは違い、

囚人は、常にマスクで顔を覆われ、

『サン・マール』が管理し、

ものすごく丁重に扱われていた。」と記録されています。

その後、「鉄仮面」は、

監獄長『サン・マール』の転勤に従って、

エグズィル要塞、サント・マルグリット島監獄、

そして、
1698年、バスティーユ牢獄に、移送され、

『サン・マール』が管理し、世話をする係でも、
「鉄仮面」の素顔を、1度も見た事が、なかったそうです。

どこの監獄でも、
『ルイ14世』のポケットマネーで、生活費などが出され、

3重の扉と4本の鉄格子の付いた特別な独房でしたが、

丁重に扱われ、毎日、極上の下着を支給され、

食事も豪勢で、

更に大臣たちが、手紙で暮らし向きを聞いてきたり、

何か必要な物があれば、

すぐに、それをもらえると言う好待遇だったそうです。

そして、牢番は、用事がある時以外、

例えば、
着替えや食事の時など、

部屋を見る事が、禁止され、

部屋に入る時は、声を掛けてから、
入っていたそうです。

そして、監獄長『サン・マール』は、

口止め料として?莫大な報酬が、与えられたそうです。

1703年11月19日、

約34年間、幽閉されていた、

「鉄仮面」が死亡した時、

『マルショワリー』という偽名で葬られ、

顔が分からない様に潰され、

獄舍の居室の品は、すべて燃やされ、

使用していた銀や銅製品は、すべて溶かされて、

室内は、石材の芯が露出するまで削られた後、

壁は、全て、白く塗り直され、

扉と窓は、すべて外され、新品に交換され、

所有物は、全て、跡形も無く、燃やされたそうです。

そして、
現在も、その正体は不明ですが、
訛りの無い流暢なフランス語をしゃべるフランス人で、

カトリック教徒で、
体格が良く、教養があり、旅行経験豊富で、
薬物に詳しかったと言われています。

『ルイ15世』は、

曽祖父『ルイ14世』や、
父『ブルゴーニュ公ルイ』から、
「鉄仮面」の正体を聞いていたそうですが、

孫の『ルイ16世』が、

「鉄仮面」の正体について、
何度も聞いたのですが、

教えなかったそうです。

「鉄仮面」の正体については、
『ルイ14世』の兄説、二重スパイ説、
軍法違反を犯して逮捕された元将軍など、
色々な説がありますが、

最新の説では、

『ルイ14世』の教育係の、

『ジュール・レイモン・マザラン
(マザラン枢機卿)』の横領など
会計上の秘密や、
『ルイ14世』の出生上の秘密を、
知ってしまった、

『ルイ14世』の庶兄と言われていて、

『ルイ14世』と顔が似ていた、

会計係の『ユスターシュ・ドージェ』と言われています。

でも、本当の所、分からないそうです。

誰?

後日詳しく…(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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