ラスプーチンとタフな犬の話(5)-日露戦争(1)

日本との関係が怪しくなった日露戦争前に、
日本を偵察したグロンプチェスキ少将が、

「日本の海軍の戦力は、我が国の半分です。
また、陸軍の戦力は、15分の1位で、かなり劣っています。

しかし、精強で、軽視すべきではありません。」と
ニコライ2世に報告しました。

すると、ニコライ2世は、
「君は、長年の極東勤務で、神経がおかしくなっている。
6ヶ月の長期休暇をとって、休みなさい。」と言ったそうです。

他のロシアの軍人たちも、ニコライ2世と同じく、
日本を人種的優越感から、心底蔑視していました。

4年間日本にいた陸軍武官のゲ・バノフスキー中佐は、
「日本軍が、ものすごく頑張っても、
ヨーロッパの一番弱い国と勝負するには、
100年以上かかる。」と言っていました。

クロパトキン大将は、
「日本兵3人に対して、ロシア兵は1人で間に合う。

もし戦争が起きることになったら、
それは戦争行くというより、散歩と同じ。

最後は日本占領をもって終わる。」と言っていました。

巡洋艦アスコリッドの艦長のグラムマチコフ大佐は、
「日本海軍はきわめて幼稚で、
われわれの足元にも及ばない。」と言っていました。

そして、日露戦争の開戦時、
他の欧米諸国も、ロシアがすぐに勝利して、
日本がロシアの植民地になって、
終わると考えていました。

何故なら、
国家の歳入は、ロシアは20億円で、日本は2億5千万円。
常備兵力は、ロシアは300万人で、日本は20万人と、
国力の差は、歴然でした。

しかし、日本は、戦力不足でしたが、
優秀な人物が多くいて、
「技術立国:日本」の名前の通り、
知力、技術力、科学力で補いました。

作戦計画の全てを担当した児玉源太郎は、
視野が広く判断力に優れていて、

日本軍の参謀育成の教官として、
招かれたドイツ陸軍参謀将校の
クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケルから、
才覚を高く評価されていて、

日露戦争開戦を聞いたメッケルは
「日本に児玉が居る限り心配は要らない。
必ずロシアを破り、
勝利を勝ち取るであろう」と述べたそうです。

そして、児玉源太郎は、
戦争の準備をする前に、
次の事柄を実行しました。

兵器,弾薬の国内生産力を高めるため、
重工業を盛んにし、

陸軍の明石元二郎を派遣し、
ロシア国内の諜報活動と攪乱工作を図り、
ロシア政府に対する不満を扇動しました。

そして、情報戦の主導権を得るために、
通信用の海底テーブルを、日本近海に敷設しました。

そして、全戦艦に無線電信を装備しました。

海戦で無線電信を活用したのは、
世界で初めてだそうです。

ちなみに、ロシアの戦艦間の連絡は、
手旗信号だったそうです。

そして、
日露戦争開始時にバルト海などの各所にいた
ロシアのほとんど全ての艦隊が、
集められて編成されたバルチック艦隊が、
日本に向かって来ました。

日本近海を哨戒中だった「信濃丸」が、
相手に気づかれることなく、
いちはやく、バルチック艦隊を発見しました。

そして、
島津源蔵の発明した蓄電池と、

逓信省の松代松之助と
海軍の木村駿吉が作製した
当時、世界最高の性能を誇った無線機によって、

「敵艦隊見ユ」と打電し、

迅速に戦闘態勢が整い、
バルチック艦隊を待ち伏せする事が出来ました。

ちなみに、
艦隊を発見を打電した「信濃丸」は、
当初、シアトル航路用貨客船だったそうですが、
日露戦争のため、仮装巡洋艦となったそうです。

日露戦争後、貨客船に復帰したそうです。
ちなみに、『永井荷風』が渡米した時や、
『孫文』が台湾から日本に亡命する時に、
「信濃丸」に乗船したそうです。

その後、
「日魯漁業(現在の『マルハニチロ』)」の北洋漁業の漁船になり、
第二次世界大戦時には、
再び軍に徴用され輸送船として使われたそうです。

ちなみに、
当時日本兵だった漫画家の『水木しげる』先生は、
「信濃丸」に乗船したそうです。

その時は、触るだけで、船体の鉄板が、
ボロボロに欠けて、落ちるほど老朽化が進んでいて、
「浮かんでいるのが不思議。
魚雷が当たらなくても、
そばを通過するだけでも沈む。」と思われていたそうです。

その後、「日魯漁業」に戻されたそうです。

ちなみに、「日魯漁業」で、
「信濃丸」の名前を受け継いだ2代目「信濃丸」は、
船内で魚等の缶詰製造まで出来る工船だったそうです。

終戦時にはシベリアからの引揚船として使われ、
その後、老朽化の為引退したそうです。

そして、
日本艦隊は、海軍の宮原二郎が発明した
当時、世界最速のエンジンを取り付けていました。

そして、今までの海戦では、
大砲が個々に目標を狙っていたのですが、

大砲を一発撃ち、
その結果をもとに弾道などを計算し、
その結果を基に狙いを定めて、
他の大砲が斉射(一斉射撃)するという、
公算射撃を、海戦では、世界で初めて行いました。

当日は、晴天でしたが、波が高く、船の揺れが激しかったので、
狙った場所に弾を命中させるという事は、
至難の業でした。

ロシアの砲弾は、旧来の火薬を使用していたので、
戦艦の急所である海面との境界の喫水線や火薬庫に、
当たらないと、沈めることが出来ませんでした。

しかし、日本の砲弾は、少々狙いが外れて、
戦艦の喫水線や火薬庫に弾が命中しなくても、
大被害を与える事が出来たそうです。

何故なら、優れた火薬と信管、砲弾があったからでした。

日露戦争で初めて使用された下瀬火薬(下瀬爆薬)は、
海軍の下瀬雅允が、開発したものでした。

下瀬火薬は、金属に触れると化学反応により、
3000度以上の高熱ガスが発生し、
それにより、船に塗られたペンキは引火し、
大火災が起きたそうです。

そのため、人が甲板に留まることができなくなり、
戦闘能力を奪ったそうです。

海軍の伊集院五郎が開発した伊集院信管は、
非常に敏感であり、砲弾が船に命中しないで、
付近の海中に落ちても爆発し、被害を与えたそうです。

そして、砲弾が爆発すると、
弾殻が3000以上の破片になり、
あらゆる方向に飛び、蜂の巣状に穴をあけました。

そして、ロシアの艦隊を次々に撃破したそうです。

他にも優秀な人物がいて、
連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、
統率力、判断力、決断力ともに優れていました。

ちなみに、曾孫の東郷宏重さんは、
現在、海上自衛隊に在籍されていて、
日本の海を守っておられます。

そして、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の名文で知られる
海軍の秋山真之は、
正岡子規と幼馴染で、
以前は文学の道を目指していたそうです。

秋山真之は戦術の達人で、
機雷敷設や七段構えの戦法など、
バルチック艦隊の迎撃作戦を考えました。

そして、日露戦争の結果は、日本の勝利となりました。

弱小国の日本により、
世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊が、
壊滅するという予想もしなかった海戦の結果は、

欧米諸国を驚愕させました。

ちなみに、
イギリスは日本海軍の勝因を詳細に研究した結果、
軍艦の根本的な作り直しが必要になったそうです。

そして、大砲を鋼鉄で囲んで動かして撃つ
「砲塔」という概念が出きたそうです。

その「砲塔」のため戦艦が巨大化し、
弩級(ド級)戦艦が出来たそうです。

すなわち、戦艦は、日本海軍の活躍により、
革命的な進化が起きたのでした。

それ以前の戦艦は、
前弩級(旧式)戦艦と呼ばれているそうです。

ちなみに、日本海軍は、
イギリスの弩級戦艦ドレッドノート号の
マスコット猫の名前にも影響を与えたそうです。

日本海軍の指揮官として、
日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献した
東郷平八郎の名前をもらい、
マスコット猫の名前は、「トーゴ」となったそうです。

トーゴ

WesthampnuttTogoShipsCatLostHMS irresistible

ちなみに、5月27日は、
1905年5月27日に日本海軍が、
ロシアのバルチック艦隊を、
殲滅したことを記念して、
海軍記念日とされていました。

しかし、
太平洋戦争敗戦により廃止されました。

ちなみに、
日露戦争で起きた不思議な話がありますが、
後日、気が向いたら…。

有色人の小国の日本が、
白人の大国のロシアに勝ったという前例のない事実は、
白人による植民地支配により、
搾取されていたアジアやアフリカなどの
人種差別下にあった人々を勇気付け、
独立の気運が高まったそうです。

インド首相のネールは、
「日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、
日本についてものすごく知りたくなり勉強した。
日本の勝利は、
アジアのすべての国々に大きな影響を与え、
偉大な救いとなった。」と言ったそうです。

中国で国家の父と呼ばれる孫文は、
「日本の勝利は、
アジア人の欧米人に対する初めての勝利だ。
これは、全アジアに影響を及ぼし、
極めて大きな希望を抱けるようになった。」と言ったそうです。

ビルマのバーモウ首相は、
「日本の勝利が、アジア人の意識の底流に与えた影響は、
決して消えることはない。
すべての虐げられた民衆に、
新しい夢を与える歴史的な夜明けだった。
今でも、日露戦争で日本が勝利を得たことを、
聞いた時の感動を思い起こすことができる。
歴史的にみれば、日本の勝利は、
アジアの目覚めの出発点とも呼べるものだ。」と言いました。

アフリカ解放の父と言われたアフリカ系アメリカ人の
ウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイスは、
「有色人種が、白色人種に劣っているという誤解を、
日本が打破してくれた。
日本を手本として見習わなければいけない。」と言いました。

エジプト民族解放指導者であるムスターファー・カミールは、
「日本人は、ヨーロッパに身の程を、
わきまえさせてやった唯一の東洋人である。」と言いました。

でも、最近の日本は、
国内の色々な事件や外交を見ると、
レベルダウンしているかもしれません。

武士道を思い出して、
再び誇り高い日本になるように、
政治家はもちろん、自分を含めて
全国民が努力する必要があると思います。(続く)
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