フランス革命(9)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(9)
- 2021/02/12
- 05:05
友人や自分を尊敬する人などに会ったり、
『ヴァランス夫人』の墓参りもしました。
そして、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
けじめをつけるという事で、内縁の妻『テレーズ・ルヴァスール』と、
フランスのブルゴワン近郊のホテル「ラ・フォンテーヌ・ド・オル」で、
正式に結婚しました。
しかし、『ジャン=ジャック・ルソー』の精神状態は、
好転と悪化を繰り返し、極度の不安に陥ることが、
多かったそうです。
1770年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
逮捕状が出ているのですが、
パリに行く事にしました。
すると、パリ市民は、熱狂的に歓迎しました。
警察は、まったく逮捕する様子を見せませんでした。
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
5時頃に起床し、
楽譜を写す仕事をして、7時頃、朝食、
午後は、カフェに行ったり、執筆活動、
趣味の植物採集をしたりして、
夕方になるころに帰宅し、
21時頃、寝るという暮らしだったそうです。
しかし、出版は禁じられていたので、
新しい作品は、朗読会で公表したそうです。
しかし、
『ジャン=ジャック・ルソー』の精神状態は、
最悪の状態が続いたそうです。
1778年5月、
『ジャン=ジャック・ルソー』の著者「エミール」で育って、
『ジャン=ジャック・ルソー』の曲が全て好きと言う位、
『ジャン=ジャック・ルソー』信者の
『ルネ・ド・ジラルダン』侯爵から誘われて、
パリ郊外のエルムノンヴィル(現在ジャン・ジャック・ルソー公園)に、
住む事になりました。
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ルネ・ド・ジラルダン』侯爵と、趣味の植物採集を楽しんだそうです。
しかし、1778年7月2日、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ルネ・ド・ジラルダン』侯爵の子供に、
ピアノを教える支度をしている時、
倒れて、そのまま、尿毒症で、死亡しました。
ちなみに、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
音楽家としても顔も持ち、作曲もしたそうです。
ちなみに、
有名な童謡「むすんでひらいて」は、
『ジャン=ジャック・ルソー』が、
1752年に、オペラ「村の占い師」のために、
作曲したそうです。
ちなみに、
日本の軍国色が濃かった明治時代に、
「戦闘歌」として、歌詞がつけられ、歌われていたそうです。
その後、『ルネ・ド・ジラルダン』侯爵は、友人らと共に、
『ジャン=ジャック・ルソー』の作品を出版し、
フランス国内に、『ジャン=ジャック・ルソー』の考えを広め、
フランス革命が、起きました。
ちなみに、
フランス王妃『マリー・アントワネット』が、
「パンが無ければ、
お菓子を食べればいいじゃない。」と言ったと言われていますが、
実は、『ジャン=ジャック・ルソー』の著書「告白」で、
たいへんに身分の高い女性が、
「パンが無ければ、菓子パンのブリオッシュを食べてはどうか?」と、
書かれたのが元と言われていますが、
フランス王妃『マリー・アントワネット』が、
言ったとは、書かれていません。(続く)
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