フランス革命(8)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(8)
- 2021/02/02
- 05:05
イギリスの哲学者『デイヴィッド・ヒューム』と、パリで、会いました。
『デイヴィッド・ヒューム』は、『ジャン=ジャック・ルソー』に好感を感ましたが、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『デイヴィッド・ヒューム』の友人『ホーレス・ウォルポール』の皮肉に、
嫌悪感を抱いていました。
1766年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『デイヴィッド・ヒューム』と一緒に、イギリスに行きました。
イギリスでは、熱烈な歓迎を受け、国王も訪ねて来たそうです。
『デイヴィッド・ヒューム』が、新居を準備し、
『ジャン=ジャック・ルソー』に、馬車を準備したのですが、
その時の係員が、節約のために、
自分のボロボロの馬車を提供したので、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、機嫌を損ねたそうです。
『デイヴィッド・ヒューム』の友人『ホーレス・ウォルポール』が、
『ジャン=ジャック・ルソー』を非難するような事を、
新聞に書いた時、
『デイヴィッド・ヒューム』が、冗談として済ませたので、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、腹が立ちました。
『デイヴィッド・ヒューム』は、『ジャン=ジャック・ルソー』のために、
国王に、年金を支給するように嘆願をしたりなど、
色々と手を尽くしていましたが、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『デイヴィッド・ヒューム』と、絶交しました。
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
度重なる誹謗中傷に対して、
自分の弁明しようと考え、自伝、回想録を書き始めたそうです。
しかし、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
統合失調症となり、
極度の不安と人間不信、
被害妄想に悩まされたそうです。
そして、フランスに帰る事にしました。
しかし、
フランスでは、
パリ高等法院から逮捕状が出ていたので、
以前より親交があった
フランス貴族の『ルイ・フランソワ1世 (コンティ公)』に、
助けを求めたので、
『ルイ・フランソワ1世 (コンティ公)』は、自分の城に、
『ジャン=ジャック・ルソー』を、1767年より1年間、かくまいました。
『ジャン=ジャック・ルソー』は、城で過ごしている間も、
『デイヴィッド・ヒューム』から、
攻撃されるという妄想に取りつかれ、
城の関係者が敵のスパイがいる、
あるいは、城の中には、暗殺者が隠れているのでは?と、
常におびえていました。
1768年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
城にいると、落ち込むことが多くなったので、
城から出る事にしました。(続く)
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