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フランス革命(7)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(7)

ちなみに、
近代の教育学、教育論に大きな影響を与え、
教育界で必読書となった、

1762年発行の『ジャン=ジャック・ルソー』の

小説風教育論「エミール」は、

当時のフランス特権階級の教育のゆがみを批判し、

児童の個性を尊重して、自然な成長を促すことが、

教育の根本だと書いています。

「エミール」では、
「子供は、大人ではない。子供は、子供である。

社会からの余計な影響を受けないよう、子供の自主性を重んじ、
5歳以下では情操面の発達を重んじ、

子どもの成長にあわせて、感覚教育と言って、
12歳まで、色々な事を経験させ、
感覚や知覚で理解できる範囲を経験で教えてていく。

そして、
12歳からは、理性に目覚めるので、
社会人になれるような、理性教育として、

15歳まで、教師や大人が、子供の能力を活用しながら、個別指導し、
本格的な教育を受けるべきである。

15歳からは、外界で経験させて、
自分の経験から学習させ、教育していくべきだ。

私たちは、いわば、2回生まれる。1回目は存在するために。
2回目は生きるために。」と主張しています。

自分は、高校の時、学校の先生に言われて、
読んだことがあります。

ちなみに、
『ジャン=ジャック・ルソー』が、生きていた当時は、

著作権が整備されていなかったので、

本がたくさん売れても、
原稿は基本的に買い取り制だったので、

『ジャン=ジャック・ルソー』は、

生涯、貧乏で、常に他人の世話になって、
生活することが多く、

趣味でやっていた楽譜の浄写が、
貴重な収入源だったそうです。

『ジャン=ジャック・ルソー』と『テレーズ・ルヴァスール』の間には、

1747年から1753年まで、5人の子供が出来ましたが、

経済的事情から、

自分の子供5人全員を、孤児院に入れたそうです。

そして、
『ジャン=ジャック・ルソー』の子孫は、


トップモデルの『ジェームズ・ルソー』に繋がります。

しかし、「エミール」の中の、
「サヴォア人司祭の信仰告白」という章で、

昔、『ジャン=ジャック・ルソー』が、

邪道におちいりそうなのを、
何度も救ってくれたサヴォアの助任司祭
『ジャン=クロード・ゲーム』との出会いで、着想を得た、

理神論的で、自然宗教的な内容が、
カトリック教会を否定すると指摘を受けました。

その当時、カトリック教会を否定する事は、
危険思想だったので、

パリ大学神学部から厳しく断罪され、

パリ高等法院から焚書とされ、

逮捕状も出たので、

『ジャン=ジャック・ルソー』への迫害がはじまり、
居場所が、無くなりました。

その上、恩返しをしようと考えていたのに、
恩返しをする前に、『ヴァランス夫人』が亡くなり、

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
ひどく落ち込みました。

そして、
『ヴォルテール』は、『ジャン=ジャック・ルソー』が、
自分の子どもを孤児院に、捨てた事を非難しました。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
逮捕状も出たので、

フランスを脱出して、
スイスのビール湖(ビエンヌ湖)に、逃避しました。

ビール湖(ビエンヌ湖)の自然を気に入りましたが、
やはりいられなくなりました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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