フランス革命(7)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(7)
- 2021/02/01
- 05:05
近代の教育学、教育論に大きな影響を与え、
教育界で必読書となった、
1762年発行の『ジャン=ジャック・ルソー』の
小説風教育論「エミール」は、
当時のフランス特権階級の教育のゆがみを批判し、
児童の個性を尊重して、自然な成長を促すことが、
教育の根本だと書いています。
「エミール」では、
「子供は、大人ではない。子供は、子供である。
社会からの余計な影響を受けないよう、子供の自主性を重んじ、
5歳以下では情操面の発達を重んじ、
子どもの成長にあわせて、感覚教育と言って、
12歳まで、色々な事を経験させ、
感覚や知覚で理解できる範囲を経験で教えてていく。
そして、
12歳からは、理性に目覚めるので、
社会人になれるような、理性教育として、
15歳まで、教師や大人が、子供の能力を活用しながら、個別指導し、
本格的な教育を受けるべきである。
15歳からは、外界で経験させて、
自分の経験から学習させ、教育していくべきだ。
私たちは、いわば、2回生まれる。1回目は存在するために。
2回目は生きるために。」と主張しています。
自分は、高校の時、学校の先生に言われて、
読んだことがあります。
ちなみに、
『ジャン=ジャック・ルソー』が、生きていた当時は、
著作権が整備されていなかったので、
本がたくさん売れても、
原稿は基本的に買い取り制だったので、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
生涯、貧乏で、常に他人の世話になって、
生活することが多く、
趣味でやっていた楽譜の浄写が、
貴重な収入源だったそうです。
『ジャン=ジャック・ルソー』と『テレーズ・ルヴァスール』の間には、
1747年から1753年まで、5人の子供が出来ましたが、
経済的事情から、
自分の子供5人全員を、孤児院に入れたそうです。
そして、
『ジャン=ジャック・ルソー』の子孫は、

トップモデルの『ジェームズ・ルソー』に繋がります。
しかし、「エミール」の中の、
「サヴォア人司祭の信仰告白」という章で、
昔、『ジャン=ジャック・ルソー』が、
邪道におちいりそうなのを、
何度も救ってくれたサヴォアの助任司祭
『ジャン=クロード・ゲーム』との出会いで、着想を得た、
理神論的で、自然宗教的な内容が、
カトリック教会を否定すると指摘を受けました。
その当時、カトリック教会を否定する事は、
危険思想だったので、
パリ大学神学部から厳しく断罪され、
パリ高等法院から焚書とされ、
逮捕状も出たので、
『ジャン=ジャック・ルソー』への迫害がはじまり、
居場所が、無くなりました。
その上、恩返しをしようと考えていたのに、
恩返しをする前に、『ヴァランス夫人』が亡くなり、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
ひどく落ち込みました。
そして、
『ヴォルテール』は、『ジャン=ジャック・ルソー』が、
自分の子どもを孤児院に、捨てた事を非難しました。
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
逮捕状も出たので、
フランスを脱出して、
スイスのビール湖(ビエンヌ湖)に、逃避しました。
ビール湖(ビエンヌ湖)の自然を気に入りましたが、
やはりいられなくなりました。(続く)
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