fc2ブログ

記事一覧

フランス革命(5)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(5)

1750年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
雑誌の広告で、ディジョン科学アカデミーが、

「学問及び芸術の進歩は、
道徳を向上させたか?あるいは腐敗させたか?」についての、

懸賞論文を募集していることを知りました。

その途端、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
精神が高揚して、突然ひらめきました。

そして、アカデミーに、「学問芸術論」と名付けて、
論文を提出しました。

「人間は、本来善良だが、
堕落を正当化する社会制度によって、
邪悪となっている。

学問、芸術の発達が、
素朴さなどの美徳を喪失させ、道徳を堕落させている。

文化を健全化させるには、

人間自身に、元々、内在している、
自然の導きに従えば良い。

人間の良識に、
学問、哲学、芸術を、基礎付けるべきだ。

専制君主が、

人々を支配して、抑圧に順応させるため、

知識と文化をコントロールしている。」と、主張しました。

そして、「学問芸術論」は、入選を果たし、
不遇な状態は一変し、脚光を浴びました。

1753年、再び、ディジョン科学アカデミーが、
「人々の間における不平等の起源は何であるか?

そして、それは自然法によって容認されるか?」についての、

懸賞論文を募集しました。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
前回の「学問芸術論」を、更に展開させ、
「人間不平等起源論」を、完成させました。

「本来、人は与えられた自然の環境的条件のもとで、
自足的に生きてきた。

自己愛と同情心以外の感情は持たない、
無垢な精神の持ち主である。

しかし、理想の状態は、
人間自身の進歩によって失われていった。

人々が、定住し、農業を始めて、
家畜を飼い、文明化していく中で、

生産物から、不平等の原因となる富が作り出され、

富をめぐって、争うようになった。

私有財産制度が、闘争状態を招いた。

文明化によって、

人間は、協力か死かという状況になりますが、
相互不信のため、協力することは難しい。

そのため、
争いで人間が滅亡しないように、欺瞞の社会契約が、行われ、

富の私有を公認する私有財産制が法になり、
国家によって財産が守られるようになる。

そして、不平等が制度化され、
現在の社会状態へと移行した。

富の格差とこれを肯定する法が、
強者による弱者への搾取と支配になっていく。

不平等という弊害が拡大していくにつれて、
悪が社会に蔓延していく。

文明化によって人間が、
自由を失い、社会的不平等に陥った。」と、
鋭い切り口で、現存社会の不法を批判しました。

1754年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
スイスのジュネーヴに帰郷しましたが、

ジュネーヴでの評判は、良くなかったそうです。

その上、以前、
フランスの啓蒙思想家『ヴォルテール』に、
「人間不平等起源論」を贈った時、

『ヴォルテール』は、
「人は、あなたの著作を読むと、
四足で歩きたいと思うでしょう。」と、
嫌味を言われていたのですが、

『ヴォルテール』が、

ジュネーヴで暮らすという事を聞いたので、

『ヴォルテール』と同じところで住むと、
偶然に会うと気まずくなると思い、

フランスに戻り、1756年より1762年まで、
リゾート地として有名なモンモランシーに、住みました。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
周辺の森を散歩しながら、
社会、教育など色々な事を考えました。

すると、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
友人の愛人で、30歳位の『デュドト』夫人の、
優しさ、穏やかさに心奪われ、親しくしたそうです。

しかし、内縁の妻『テレーズ・ルヴァスール』らが、
邪魔をしたので、『デュドト』夫人との関係は、
悪くなったそうです。

1755年、リスボン地震が発生し、
10万人の死傷者を出す大災害となりました。

すると、
『ヴォルテール』は、

「リスボンの災禍は、神の存在性と神の非情さだ。」と言い、

他の思想家も同意し、大いに賛同しました。

これに対して、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
黙っていはいられなくて、

『ヴォルテール』に、

「地震の災厄が深刻化したのは、
神の非情さではなく、

都市の過密によるものであり、

これは人災だ。

文明への過度の依存すると、
リスクが、生じるので、

文明と人が、自然と調和することが、
必要性だ。」と、手紙を書いて送りました。

そして、他の思想界の人々との、
対立関係は決定的となり、関係が悪くなりました。

友人だった啓蒙思想家『ドゥニ・ディドロ』は、

『ジャン=ジャック・ルソー』の
引き篭もり状態の田舎暮らしや、
『デュドト』夫人との関係などの家族問題を批判しだし、

家族を引き離そうと画策したので、

思想的な対立によるものだけでなく、
感情的な反感もあり、
友人たちと、絶縁状態となっていきました。

そして、(続く)
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

ジャンルランキング

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ランキング

カテゴリ

鳥 (4)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ