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フランス革命(4)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(4)

『ヴァランス夫人』がいなくなり、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
途方に暮れましたが、父『イザーク』と会ったりながら、
再び、放浪を始めました。

放浪中、
何度も農家の家に泊めてもらいましたが、

重い税金から、農家が苦しんでいる事を知り、
「社会契約論」の原点の発想を得ました。

フランスのリヨンに、『ヴァランス夫人』がいると聞き、
探しましたが、見つかりませんでした。

色々と探しているうちに、
『ヴァランス夫人』の知人と会うことが出来たので、
『ヴァランス夫人』に連絡をしてもらい、

1731年、『ヴァランス夫人』と、再会することが出来ました。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』の知人から、
地図作成の技術を教わり、仕事をしましたが、

半年余りで、仕事をやめてしまいました。

『ヴァランス夫人』が、
趣味で、自宅で月一の音楽会を開いていました。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、イケメンだったので、



音楽会では、女性たちの関心の的となっていたそうです。

ちなみに、
『ジャン=ジャック・ルソー』の子孫もイケメンで、


トップモデルの『ジェームズ・ルソー』だそうです。

『ヴァランス夫人』は、
『ジャン=ジャック・ルソー』を狙う女性たちから、
守ろうと考えているうちに、肉体関係を持つ事になりました。

後日、『ジャン=ジャック・ルソー』は、

「初めて、性交を経験した女性は、

熱愛する『ヴァランス夫人』だった。

でも、近親相姦を犯したような気持ちだった。

『ヴァランス夫人』との時間は、

生涯で、もっとも幸福な時期だった。」と書き記しています。

その後、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』の手伝いで、
薬の調合をしていた時、化学反応で大爆破が起きて、
生死をさまようような事故にあいました。

そのため、療養のため、

環境の良い静かな農村に転居しました。

そして、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、死を感じた事により、

残りの人生を有意義に使おうと考えるようになり、

益々読書に励み、色々な事を学びました。

しかし、
1737年、『ジャン=ジャック・ルソー』が、
『ヴァランス夫人』の家を訪れた時、

家には、18歳の『ヴィンシェンリード』という、
『ヴァランス夫人』の新しい愛人がいました。

そのため、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
居場所がなくなったと感じ、
次第に、『ヴァランス夫人』の家に行く事が少なくなり、

二人の関係は冷めてしまいました。

そして、『ジャン=ジャック・ルソー』は、

『ヴァランス夫人』に、別れを告げました。

その後、家庭教師を務めたりしましたが、

その家にあったワインを盗んで、
見つかったので、辞めました。

そして、
再び、『ヴァランス夫人』の家に戻りましたが、

『ヴァランス夫人』の家計が、苦しくなっていたので、

『ジャン=ジャック・ルソー』は、居ずらくなり、

『ヴァランス夫人』に、

お金を儲けて、恩返しをしようと考え、

数字によって音階を表す、
音楽の新しい記譜法を考案し、

それを元手に、一旗揚げるため、パリに向かいました。

しかし、
いくらかの賛辞が贈られましたが、
経済的な成功には結び付きませんでした。

その後、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、フランス北部の街、
サン=カンタンのホテルで、
23歳の女中『テレーズ・ルヴァスール』に出会い、
素朴さに惹かれたそうです。

ちなみに、『テレーズ・ルヴァスール』は、
当時は珍しくなかったのですが、
文字の読み書きが、出来なかったそうです。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
「決して捨てないし、結婚もしない。」と言って、
一緒に住むようになりました。

しかし、『テレーズ・ルヴァスール』の親類縁者が、
金をたかりに来たりして、
順風満帆な生活ではなかったそうです。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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