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フランス革命(3)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(3)

1728年3月、『ジャン=ジャック・ルソー』15歳の時、

放浪の末、
現在のイタリアとフランスにあったサヴォワ領に流れ着き、

カトリック司祭から、親切な婦人がいるという事で、

29歳の『フランソワーズ=
ルイーズ・ド・ラ・トゥール・ド・ヴァランス(ヴァランス夫人)』を、
紹介されました。

その出会いは、
『ジャン=ジャック・ルソー』にとって、
生涯忘れられないものとなりました。

後日、『ジャン=ジャック・ルソー』は、

「出会った瞬間に、胸がときめいた。

『ヴァランス夫人』の優美さに満ちた顔、
やさしい青い美しい目、まばゆいばかりの顔色、

うっとりとさせるほどの胸の輪郭。

一瞬で、私は、彼女の虜になった。」と書いています。

ちなみに、
『ヴァランス夫人』は、15歳の時、
『セバスチャン=イザーク・ド・ロワ』男爵と、
結婚しましたが、

不仲のため家を出て、

サルデーニャ王
『ヴィットーリオ・アメデーオ2世』の保護を受け、

多額の年金で、生活していました。

その後、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』に世話になりながら、
使用人など、職を転々としましたが、

盗みを働いたり、
嘘をついて、人に罪を着せたりしたため、
周囲の人から、信用を失い、居場所がなくなったので、
再び放浪の旅に出ました。

その間、
サヴォアの助任司祭『ジャン=クロード・ゲーム』から、

「小さな義務を果たす事は、
英雄的行為に匹敵するほど大事な事で、
常に人から尊敬されるように心がけなさい。」、

「幸福になるため、
これまでの生き方を捨てて、

健全な道徳と正しい理性を保って生きるように。」など、
励ましの助言を受けたそうです。

後日、『ジャン=ジャック・ルソー』は、

「当時、無為のあまり、
邪道におちいりそうなのを、
何度も救ってくれたことで、
測りしれぬ恩恵を、与えてくれた。」と言っています。

サヴォアの助任司祭『ジャン=クロード・ゲーム』との出会いが、

『ジャン=ジャック・ルソー』の教育論の原点になり、

後日、教育論の名著書「エミール」に影響を与えました。

1729年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』の所に戻りました。

『ヴァランス夫人』は、
『ジャン=ジャック・ルソー』を歓迎し、
『坊や』と呼び、自分の子供の様に可愛がりました。

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
生後すぐに母親を亡くしていたので、
母親の愛情を常に求めていたので、

『ヴァランス夫人』を『ママン』と呼び、甘えるようになり、

一緒に住むようになり、母子の様な関係になりました。

『ヴァランス夫人』は、
『ジャン=ジャック・ルソー』を、自立させようとして、
神学校や音楽学校に入れますが、

『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』と、ひと時も離れたくないと言って、
学業は長続きしなかったそうです。

『ヴァランス夫人』は、このままではいけないと感じ、

『ジャン=ジャック・ルソー』に黙って、
屋敷から出て行きました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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