フランス革命(3)-偉人、…でも変態『ジャン=ジャック・ルソー』(3)
- 2020/12/31
- 05:05
放浪の末、
現在のイタリアとフランスにあったサヴォワ領に流れ着き、
カトリック司祭から、親切な婦人がいるという事で、
29歳の『フランソワーズ=
ルイーズ・ド・ラ・トゥール・ド・ヴァランス(ヴァランス夫人)』を、
紹介されました。
その出会いは、
『ジャン=ジャック・ルソー』にとって、
生涯忘れられないものとなりました。
後日、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
「出会った瞬間に、胸がときめいた。
『ヴァランス夫人』の優美さに満ちた顔、
やさしい青い美しい目、まばゆいばかりの顔色、
うっとりとさせるほどの胸の輪郭。
一瞬で、私は、彼女の虜になった。」と書いています。
ちなみに、
『ヴァランス夫人』は、15歳の時、
『セバスチャン=イザーク・ド・ロワ』男爵と、
結婚しましたが、
不仲のため家を出て、
サルデーニャ王
『ヴィットーリオ・アメデーオ2世』の保護を受け、
多額の年金で、生活していました。
その後、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』に世話になりながら、
使用人など、職を転々としましたが、
盗みを働いたり、
嘘をついて、人に罪を着せたりしたため、
周囲の人から、信用を失い、居場所がなくなったので、
再び放浪の旅に出ました。
その間、
サヴォアの助任司祭『ジャン=クロード・ゲーム』から、
「小さな義務を果たす事は、
英雄的行為に匹敵するほど大事な事で、
常に人から尊敬されるように心がけなさい。」、
「幸福になるため、
これまでの生き方を捨てて、
健全な道徳と正しい理性を保って生きるように。」など、
励ましの助言を受けたそうです。
後日、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
「当時、無為のあまり、
邪道におちいりそうなのを、
何度も救ってくれたことで、
測りしれぬ恩恵を、与えてくれた。」と言っています。
サヴォアの助任司祭『ジャン=クロード・ゲーム』との出会いが、
『ジャン=ジャック・ルソー』の教育論の原点になり、
後日、教育論の名著書「エミール」に影響を与えました。
1729年、『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』の所に戻りました。
『ヴァランス夫人』は、
『ジャン=ジャック・ルソー』を歓迎し、
『坊や』と呼び、自分の子供の様に可愛がりました。
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
生後すぐに母親を亡くしていたので、
母親の愛情を常に求めていたので、
『ヴァランス夫人』を『ママン』と呼び、甘えるようになり、
一緒に住むようになり、母子の様な関係になりました。
『ヴァランス夫人』は、
『ジャン=ジャック・ルソー』を、自立させようとして、
神学校や音楽学校に入れますが、
『ジャン=ジャック・ルソー』は、
『ヴァランス夫人』と、ひと時も離れたくないと言って、
学業は長続きしなかったそうです。
『ヴァランス夫人』は、このままではいけないと感じ、
『ジャン=ジャック・ルソー』に黙って、
屋敷から出て行きました。(続く)
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