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日本の革命事件(2)-三島事件(4)

『三島由紀夫』は、バルコニーから総監室に戻り、

「あの騒音では、
聞こえなかったな…」とつぶやいたそうです。

そして、『三島由紀夫』は、
『益田兼利』総監に、

「総監には、恨みはありません。

自衛隊を天皇にお返しするためです。

こうするより、仕方なかったのです。」と話しました。

そして、『三島由紀夫』は、
「これで介錯を頼む。」と言って、

持っていた名刀「関の孫六」を、
「楯の会」の『森田必勝』に渡し、

代わりに、短刀を受け取りました。

そして、『三島由紀夫』は、渡された短刀を持ち、
上着を脱ぎ、バルコニーに向かうように正座して、

「楯の会」の会員に向かって、

「君たちは、やめろ。」と言ってから、

「ヤアッ!」と両手で、左脇腹に短刀を突き立てから、
切腹しました。

『三島由紀夫』の左後方に立った、
介錯人の「楯の会」の『森田必勝』は、

『三島由紀夫』の頸部に、二太刀を振り降ろしましたが、
切断が半ばまでとなりました。

『三島由紀夫』が、まだ生きていたので、

他の「楯の会」は、

「もう一太刀して、とどめを!」と声をかけたので、

「楯の会」の『森田必勝』は、
三太刀目を振り降ろしたが、うまくいきませんでした。

『益田兼利』総監は、「やめなさい!
介錯するな!とどめを刺すな!」と叫んだそうです。

「楯の会」の『森田必勝』は、「楯の会」の『古賀浩靖』に、
「浩ちゃん頼む。」と言って、名刀「関の孫六」を渡し、

一太刀振るって頸部の皮一枚残すという、
古式に則って切断しました。

最後に「楯の会」の『小賀正義』が、

『三島由紀夫』の握っていた短刀を使い、
首の皮を胴体から切り離しました。

そして、「楯の会」の『森田必勝』は、
『三島由紀夫』の遺体の隣に、
正座して切腹し、

「楯の会」の『古賀浩靖』が、一太刀で介錯しました。

残った「楯の会」の会員の3人は、

血に海になった部屋で、

2人の遺体を仰向けに直し、
制服をかけ、両人の首を並べました。

それを見ていた『益田兼利』総監は、

「これで、終わりにしたらどうだ。

自首したらどうか?」と言いました。

「楯の会」の会員の3人は、

「三島先生の命令で、
あなたを自衛官に引き渡します。」と言いました。

『益田兼利』総監は、

「私はあばれない。
手を縛ったまま、人前に出すのか?」と言うと、

「楯の会」の会員の3人は、
『益田兼利』総監の拘束していたヒモを全て外しました。

「楯の会」の会員の3人は、
『三島由紀夫』と「楯の会」の『森田必勝』の首の前で合掌し、
黙って涙を流しました。

『益田兼利』総監は、
「もっと思いきり泣け、
自分にも冥福を祈らせてくれ。」と言って、
正座して合掌したそうです。

そして、
12時20分、部屋から、「楯の会」の会員の3人と、
『益田兼利』総監が、出て来ました。

そして、「楯の会」の会員の3人は、
その場で牛込警察署員に、現行犯逮捕されました。

『益田兼利』総監は、
「ご迷惑かけたが、私はこの通り元気だ。
心配しないでほしい」と言いました。

後日、
『益田兼利』総監は、

「彼らに対して、
憎いという気持ちは、無かった。

国を思い、自衛隊を思って、

純粋な気持ちで、行った事なので、
個人的には、心情は理解できる。」と言っています。

そして、
警察官や機動隊の監視下に置かれていた、
「楯の会」の会員約30人は事件を知って動揺し、
整列して「君が代」を斉唱した後、
四谷署に連れて行かれました。

防衛庁で記者会見を開いた
『中曽根康弘』防衛庁長官は、

「非常に遺憾な事態で、迷惑千万で、
民主的秩序を破壊する。」と批判しました。

ちなみに、後日、『中曽根康弘』は、
内閣総理大臣になります。

当時の内閣総理大臣『佐藤栄作』は、

「気が狂ったとしか思えない。

常軌を逸している。」と言いました。

演説を見ていた自衛隊員は、
「割腹自決と聞いて、すごいショックだ。

野次でほとんど聞き取れなかった。

死を賭けた言葉なら、
静かに聞いてやればよかった。」と言う人もいました。

介錯に使われた名刀「関孫六」の贈り主の『舩坂弘』は、
牛込警察署で確認したそうです。

事件後
陸上自衛隊で、約千人に行われたアンケートでは、

「『三島由紀夫』の考え方に、共鳴する。」という答えが、

予想以上に多かった事に、防衛庁は、驚いたそうです。

そして、後日、内閣総理大臣になる
『中曽根康弘』防衛庁長官が、

『益田兼利』総監に対して、

「俺には、内閣総理大臣に、

なるかもしれないという将来があるので、
全責任は取れない。

貴方、『益田兼利』総監は、
充分に位人臣を極めたのだから、

全責任を取ってもらえれば、

一件落着だ。

そうしてもらえると、
退職金を増やす事が可能だ。」とアドバイスしました。

この事を後日知った、
三島事件の被害者の『寺尾克美』3佐は、

「今まで、
『中曽根康弘』を尊敬していたが、
こういう男かと嘆かわしく思ったし、
ものすごく、腹が立った。」と言っています。

そして、
12月22日、『益田兼利』総監は、
事件の全責任をとって、辞職したそうです。

「楯の会」の会員の3人の裁判が、行われました。

「楯の会」の会員『小川正洋』は、

「自衛隊が、治安出動するまでの空白を埋めるのが、
「楯の会」の目的だった。

国がみずからの手で、
日本の文化と伝統を伝え、
国を守るのを憲法で保障するのは当然な事だ。

三島先生(『三島由紀夫』)は、
右翼は理論でなく心情だ!と言われていました。

自分は、勉強が出来ないし、活動経験も少ない。

でも、日本を思う気持だけは誰にも負けないつもりだ。

三島先生(『三島由紀夫』)は、

如何なる時でも、先頭に立たれ、努力されていました。

その姿に感激せずにはおられませんでした。

三島先生(『三島由紀夫』)は、

左翼と右翼との違いは、
天皇と死しかないのだ!とよく言われていました。

左翼は積み重ね方式だが、

我々はぎりぎりの戦いをするしかない。

武士道とは死ぬことと見つけたりとは、
朝起きたら、その日が、最後だと思うことだ。

だから歴史の精華を具現するのは、
自分が最後だと思うことが、
武士道なのだ!と教えてくださいました。

でも、実の事を言うと、
私達が行動したからといって、
自衛隊が立ち上がるとは、考えなかったし、

世の中が急に変わることも、無いと思いましたが、

それでもやらねばならなかったのです。」と言いました。

その後、刑期を終え、故郷の千葉県で、
参議院議員『安倍基雄』(旧民社党、旧自由党)の秘書や、
旧民主党静岡県連事務局長などを務めましたが、

事件後、「楯の会」の会員とは、
交流せず、2018年、心不全のため死去したそうです。

「楯の会」の会員『小賀正義』は、

「母親が、宗教法人「生長の家」に所属していた関係で、
中学1年頃から、「生長の家」に参加していましたが、

今の世の中を見たとき、薄っぺらなことばかり多い。

真実を語ることが出来るのは、
自分の生命をかけた行動しかない。

日本の憲法は、占領軍が英文で起草した原案を押しつけたもので、
欺瞞と偽善にみち、屈辱以外のなにものでもない。

我々の行動で、日本人の魂を取戻すことが、
出来るのではないかと考えた。

三島先生(『三島由紀夫』)は、

多くの人は理解できないだろうが、

今、犬死がいちばん必要だという事を、
見せつけてやりたい!と話されていた。 

我々は軍国主義者ではない。

永遠に続くべき日本の天皇の地位を守るために、
日本人の意地を見せたのだ!

天皇の地位は、歴史的に天皇なのであって、
選挙で選ぶものでは、ない。

それなのに憲法では、
天皇の地位が、総意に基づくとあるが、
西洋の民主概念を誤って、天皇に当てはめているので、

真に日本人と自覚するならば、
黙って見過ごすわけにはできない。」と言いました。

刑期を終えた後、故郷の和歌山県に戻って、
地元の大学に入り直し、普通に生活したそうです。

「楯の会」の会員『古賀浩靖』は、

「戦後、日本は経済大国になり、
物質的には繁栄した反面、
精神的には退廃しているのではないかと思う。

個人的享楽、利己的な考えが先に立ち、
民主主義の美名で日本人の精神をむしばんでいる。

その、悪の根源は、憲法であると思う。

現憲法はマッカーサーのサーベルの下でつくられたもので、

サンフランシスコ条約で形式的に独立した時、
無効宣言をすべきであった。

現状維持の生温い状況の中に日本中は、
どっぷりとつかって、

将来どのような意味を持っているかを、

深く、真剣に探ることなく過ぎ去ろうとしていたことに、

三島先生(『三島由紀夫』)が、喝を入れた。

三島先生(『三島由紀夫』)は、

今、日本に何かが起こらなければ、
日本は日本として立上がることが、出来ない。

社会に衝撃を与え、亀裂をつくり、
日本人の魂を見せておかなければならない。

我々がつくる亀裂は、小さいかもしれないが、
やがて大きくなるだろう。』と言って、

三島先生(『三島由紀夫』)は、
後世に託してあの行動をとった。」と言いました。」

その後、刑期を終えた『古賀浩靖』は、
国学院で神道を学び、鶴見神社で神主の資格を取ったそうです。

『古賀浩靖』を神主として、
『三島由紀夫』と『森田必勝』の慰霊を始めた所、
「楯の会」の元会員が集まり始め、
毎年、慰霊祭が行われるようになっそうです。

その後、『古賀浩靖』は、「荒地」の姓となり、
宗教団体「生長の家」の
札幌教区強化部長幹部となったそうです。

ちなみに、大雑把に言えば、
宗教団体「生長の家」は、宗教団体「大本」の流れを汲んで、
分離した団体です。

宗教団体「生長の家」の話もありますが、後日…。

ちなみに、
このようなクーデターは、

絶対に失敗すると考える人が多いのですが、

成功する事もあります。

それは、フランス革命です。

そして、フランス革命は、
平民には、人権、平等、自由が認められなかった、
王様と貴族のための政治から、
現在の資本主義国家の民主主義の、
人権、平等、自由の基礎となりました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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