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日本の革命事件(2)-三島事件(2)

『三島由紀夫』は、手ぬぐいで、
刀身を拭いてから、刀身を『益田兼利』総監に渡しました。

『益田兼利』総監は、

「良い刀ですね。素晴らしい、本物は違う。」と言いながら、

『三島由紀夫』に、刀身を返して、元の席に戻りました。

『三島由紀夫』は、刀身受け取ると、
手ぬぐいを『小賀正義』に、渡してから、目線で指示し、
刀身を鞘に納めました。

それを合図に、『小賀正義』は、
すばや『益田兼利』総監の後ろにまわり、
持っていた手ぬぐいで、

『益田兼利』総監の口をふさぎ、

「楯の会」のメンバーが集まり、

ロープで、『益田兼利』総監を椅子に縛りつけ、
拘束しました。

『小賀正義』は、『益田兼利』総監に、
さるぐつわを噛ませ、

「呼吸が止まるようにはしません。」と言いながら、
短刀をつきつけました。

『益田兼利』総監は、

「「楯の会」の訓練ですか?冗談は、やめなさい。」と言いましたが、

『三島由紀夫』は、刀を持ったまま真剣に、
睨んでいたので、

『益田兼利』総監は、やばい!と思いました。

そして、「楯の会」のメンバーは、
机や椅子、植木鉢などで、バリケードをつくりました。

総監室の異常な物音に、部屋の外にいた職員が、

異常な物音が、不自然なため、
何かあったのでは!と思い、
中に入ろうとすると、鍵が閉まっていました。

ドアに体当たりし、隙間が、少し出来たところ、

「来るな!来るな!」と叫び声が聞こえ、

ドア下から、要求書が差し出されました。

要求書には、

「市ヶ谷駐屯地の自衛官を、全員集合させる事。

『三島由紀夫』の演説を、2時間、静聴する事。

「楯の会」残余会員を、召集する事。

演説中の2時間の間、一切の攻撃妨害をしない事。

一切の攻撃妨害をしない限り、当方より、攻撃はしない。

『三島由紀夫』の演説が終わったら、
『益田兼利』総監を解放する。

条件が守られない時、『益田兼利』総監を殺害し、

自分たちは、自決する。」と書かれていました。

そして、『三島由紀夫』らが、
『益田兼利』総監を、監禁した事が分かったので、

非常呼集がかけられ、警務隊にも連絡しました。

ドアのバリケードを壊し、部屋になだれ込むと、

剣道の心得があった『三島由紀夫』は、
「部屋から出ろ!」、「要求書を読め!」と叫びながら、
名刀「関の孫六」を、振り回したそうです。

防衛副長『吉松秀信』1佐は、

「何をするんだ。話し合おうではないか。」と説得しました。

『三島由紀夫』らは、小テーブルや椅子を投げつけたり、

自衛隊員を斬りつけたりしたので、

幕僚らは総監の安全も考え、一旦退散することにしました。

この乱闘で、自衛隊員8人が、
刃物による切り傷などにより、負傷し、
手の腱を切られて、
手の握力を失う後遺症が、残った人もいたそうです。

そして、約120人の機動隊員が、市ヶ谷駐屯地に、集合しました。

室外に退散した幕僚らは、
『三島由紀夫』らと話し合うため、

『功刀松男』1佐が、
再び、部屋に入ろうとした所、
名刀「関の孫六」で、額を切られました。

『三島由紀夫』は、

「これをのめば、総監の命は助けてやる。」と、

最初に廊下に差し出したものと同内容の要求書が、
再び、出されました。

幕僚幹部らは、要求を受け入れることを決め、

防衛副長『吉松秀信1佐』が、

「自衛官を集めることにした。」と『三島由紀夫』に言いました。

すると、『三島由紀夫』は、

「君は何者だ。どんな権限があるのか?」と聞いてきました。

防衛副長『吉松秀信1佐』が、

「防衛副長『吉松秀信1佐』だ!

現場の最高責任者である。」と言うと、

『三島由紀夫』は、腕時計を見てから、

「時間は、正午までだ!」と言いました。

そして、
『三島由紀夫』は、要求書の内容を、
『益田兼利』総監にも、説明しました。

『益田兼利』総監は、

「何故こんなことをするのか?自衛隊や私が憎いのか?

演説なら内容によっては、私が代わりに話す。」と言うと、

『三島由紀夫』は、

「自衛隊も貴方も憎いのではない。

妨害しなければ殺さない。

日本の自立を取り戻すため、
自衛隊に最大の刺激を与えて、
奮起を促すために来た。」と言いました。

市ヶ谷駐屯地に、

「業務に支障がないものは、
総監室のある本館の前庭に、
集合して下さい。」とマイク放送が、数回流されました。

警視庁は、『三島由紀夫』ら全員の逮捕を指示したので、
パトカー、警務隊も集まりました。

この頃、テレビやラジオも事件の第一報を伝えていました。

マイク放送を聞いた自衛官約千人が、

盾を持った機動隊員や、
新聞社やテレビなど報道陣が、集まっていた
総監室のある本館の前庭に集まりました。

11時55分頃、
総監室のバルコニー上から、
要求項目を墨書きした垂れ幕が、垂れ下がりました。

総監室のある本館から、約50mの所に、
「楯の会」の会員約30人が、集まっていましたが、
警察の監視下に置かれ、現場に召集させませんでした。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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