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ワンマン『吉田茂』(7)

2007年に公開されたアメリカのCIAの文書では、
『吉田茂』の暗殺計画があった事が、公表されました。

それによると、

日本が、
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)占領下の時代、

『ダグラス・マッカーサー』大将の側近で、

『赤狩りのウイロビー』のあだ名の
連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部部長

『チャールズ・アンドリュー・ウィロビー(ウィロビー)』は、

「責任ある立場にあって、最も無責任の愚将」との評価もある、

旧日本陸軍参謀の『服部卓四郎』陸軍大佐の作戦立案能力を、

高く評価し、絶大な信頼を寄せていたそうです。

ちなみに、
『服部卓四郎』は、陸軍部作戦課長として、

日米開戦からガダルカナル攻防作戰までの全般の
作戦指導を行った、中核人物だそうです。

そのため、
『ウィロビー』指示のもと、『服部卓四郎』は、

GHQの戦史編集局、
第一復員庁史実調査部長となり、
太平洋戦争の戦史編纂を行ったそうです。

しかし、
連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部部長
『チャールズ・アンドリュー・ウィロビー』少将は、

表向きは、戦史調査部と言いながら、

米ソ冷戦構造が生まれ、
朝鮮戦争が勃発したので、

裏の業務として、GHQによる、

国際情勢の変化に対応した、
日本の本格的な再軍備のため、

綿密な再軍備計画を立案し、

『服部卓四郎』、『辻正信』陸軍大佐など、
参謀本部や陸軍省の要職についていた、
大佐級、中佐級の愛国派元軍人を中心に、

約400人を選び、

情報網「服部機関」を発足させ、

そして、『ウィロビー』は、
日本の自衛隊の前身となる警察予備隊の幕僚長に、

『服部卓四郎』を任命し、

アメリカ軍に従軍できるように、

日本の軍隊を再編成し、

朝鮮戦争やベトナム戦争などに、
派遣し、実戦する事を考えていたそうです。

しかし、
『ダグラス・マッカーサー』大将の側近の

民政局局長『コートニー・ホイットニー』や『吉田茂』首相は、

旧陸軍出身の『服部卓四郎』の起用には、反対したそうです。

そして、
最終的に、『吉田茂』首相は、

宮内庁次長で軍幹部経験のない『林敬三』を、

警察予備隊の最高指揮官に据えました。

そのため、
『服部卓四郎』陸軍大佐は、

理解者だと思ってきた『吉田茂』に、

裏切られたと思ったそうです。

そして、
1952年7月、『服部卓四郎』陸軍大佐は、

『吉田茂』を暗殺し、

民主党『鳩山一郎』を党首にするという、

クーデターを計画したそうです。

『服部卓四郎』陸軍大佐の友人『辻政信』陸軍大佐が、

「今は、クーデターを起こす時ではない。」と説得したので、

クーデターは、思いとどまったそうです。

ちなみに、
『チャールズ・アンドリュー・ウィロビー(ウィロビー)』は、

ドイツ人『T・フォン・チェッペ=ヴァイデンバッハ』男爵 と、
アメリカ人『エマ・ウィロビー』の間に生まれ、

『アドルフ・カール・ヴァイデンバッハ 』と名付けられたそうです。

『ウィロビー』は、
ドイツのハイデルベルク大学を卒業後、

1910年にアメリカに渡り、アメリカに帰化し、

姓を母親の名前に変更し、

『アドルフ・カール・ヴァイデンバッハ 』より、
『チャールズ・アンドリュー・ウィロビー(ウィロビー)』を、
名乗るようになったそうです。

そして、『ウィロビー』は、妻が日系人だった事と、
法の支配を尊重する考えだったので、

東京裁判の敗戦国の指導者だけを裁く裁判に対して、
不信感を持っていたそうです。

そして、
アメリカのCIA設立に貢献したそうです。

晩年は、日英のハーフの妻『マリーアントワネット』と、
フロリダで引退生活を、送ったそうです。

第二次世界大戦後、
戦勝国のイギリス、ソヴィエト、アメリカの外相会議で、
極東委員会の設置が決まり、

1946年、2月26日以降、
13国(アメリカ、イギリス、中国、ソ連、フランス、
インド、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、
フィリピン、ビルマ、パキスタン)の代表から、

構成される極東委員会が、活動を開始した後、

憲法改正に対するGHQの権限が制限されるので、

共産主義圏のソ連などが口を出してくる前に、

日本の憲法を、GHQで、作ろうという事で、

『ダグラス・マッカーサー』大将は、

「天皇は、国家の元首の地位にある。」、
「国家の主権的権利としての戦争の放棄。」、
「日本の封建制度の廃止。」を基本に、

『ウィロビー』のライバル『コートニー・ホイットニー』に、
日本憲法の草案の作成を指示しました。

そして、
『コートニー・ホイットニー』は、

日本政府に対して、

「案を飲まなければ、天皇を軍事裁判にかける。」、
「我々は、原子力の日光浴をしている。」など言って、

『コートニー・ホイットニー』の考えたGHQ草案に沿って、
1946年、日本国憲法が出来ました。

この事は、後日、三島事件に繋がります。

そして、
『鳩山一郎』政権下では、

『服部卓四郎』の国防会議事務局防衛計画担当参事官の
起用が検討されましたが、

防衛庁内局幹部の反対により、実現しませんでした。

そして、『服部卓四郎』は、防衛庁の顧問などをしながら、
1960年、死亡したそうです。

『服部卓四郎』の自衛隊への入隊は、無かったのですが、

情報網「服部機関」の出身者は、

自衛隊に、幹部として入隊して、

陸上自衛隊幹部学校長、

航空幕僚監部調査部調査課長、

航空幕僚副長、

北部航空方面隊司令官、

東部方面総監、

航空幕僚監部防衛部長などに、

就任したそうです。

しかし、『吉田茂』の暗殺計画の具体的な真実は、
ほとんど、隠ぺいされていて、

政府高官の暗殺、そして、クーデターという考えは、
「三無事件」、「三島事件」に繋がっていきました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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