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ワンマン『吉田茂』(2)

『吉田茂』は、外交官だったので、
政治の事について、
詳しくは知らなかったので、

自分を推薦してくれた重鎮『古島一雄』に、
相談しながら、物事を進めていきました。

そのため、『古島一雄』は、
「政界の指南番」と称されたそうです。

しかし、『吉田茂』は、

外交官から、突然、自由党総裁になったので、

自分の手足となる忠実な部下が、
少なかったそうです。

そのため、自由党執行部の
「ヤジ将軍」、「策士」、「政界の大狸」、
「寝業師」となどの異名を持つ『三木武吉』総務会長や

『河野一郎』幹事長らは、

『吉田茂』は、人事に関しては、

自分たちに頼ってくるので、

陰から支配できるとと考えていました。

しかし、
『吉田茂』は、戦前、政党が軍部に恭順した事に、
嫌悪感を持っていたため、

自由党執行部に相談せず、

各省庁から、
自分の後輩にあたる有能な官僚を集め、

国会議員に当選させ、

自らの政治基盤を支え、後身を育てるための、
「吉田学校」と呼ばれるグループをつくり、

日本の政治体制の基礎を固め、

自由党執行部などに指図を受けないで、

自分で人事を決めたそうです。

それを知った自由党執行部は激昂し、

『吉田茂』を、自由党から除名という話も出たそうです。

しかし、『三木武吉』総務会長は、

『吉田茂』を自由党から除名すると、

政局が混乱し、

社会党に政権が行く可能性あるので、

自由党執行部を説得したそうです。

そして、
「吉田学校」の出身者の、元大蔵次官『池田勇人』、
元運輸次官『佐藤栄作』らは、後日首相となりました。

後日、『吉田茂』は、
「授業料を取っていないから、
吉田学校の生徒は、何人かわからない。」と言っています。

「吉田学校」の話は、興味深いので、
作家『戸川猪佐武』が、「小説吉田学校」を書きました。

そして、『吉田茂』は、ワンマンと呼ばれ、
思い通りの政治を行いました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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