ワンマン『吉田茂』(2)
- 2020/12/18
- 05:05
政治の事について、
詳しくは知らなかったので、
自分を推薦してくれた重鎮『古島一雄』に、
相談しながら、物事を進めていきました。
そのため、『古島一雄』は、
「政界の指南番」と称されたそうです。
しかし、『吉田茂』は、
外交官から、突然、自由党総裁になったので、
自分の手足となる忠実な部下が、
少なかったそうです。
そのため、自由党執行部の
「ヤジ将軍」、「策士」、「政界の大狸」、
「寝業師」となどの異名を持つ『三木武吉』総務会長や
『河野一郎』幹事長らは、
『吉田茂』は、人事に関しては、
自分たちに頼ってくるので、
陰から支配できるとと考えていました。
しかし、
『吉田茂』は、戦前、政党が軍部に恭順した事に、
嫌悪感を持っていたため、
自由党執行部に相談せず、
各省庁から、
自分の後輩にあたる有能な官僚を集め、
国会議員に当選させ、
自らの政治基盤を支え、後身を育てるための、
「吉田学校」と呼ばれるグループをつくり、
日本の政治体制の基礎を固め、
自由党執行部などに指図を受けないで、
自分で人事を決めたそうです。
それを知った自由党執行部は激昂し、
『吉田茂』を、自由党から除名という話も出たそうです。
しかし、『三木武吉』総務会長は、
『吉田茂』を自由党から除名すると、
政局が混乱し、
社会党に政権が行く可能性あるので、
自由党執行部を説得したそうです。
そして、
「吉田学校」の出身者の、元大蔵次官『池田勇人』、
元運輸次官『佐藤栄作』らは、後日首相となりました。
後日、『吉田茂』は、
「授業料を取っていないから、
吉田学校の生徒は、何人かわからない。」と言っています。
「吉田学校」の話は、興味深いので、
作家『戸川猪佐武』が、「小説吉田学校」を書きました。
そして、『吉田茂』は、ワンマンと呼ばれ、
思い通りの政治を行いました。(続く)
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