英雄が独裁者に代わる時ーニカラグア(2)
- 2020/12/12
- 05:05
『ロナルド・レーガン』大統領が、「自由の戦士」と呼び、
アメリカが、秘密裏に、イランに武器を売却した時の収益を、
「コントラ」への支援に転用し、資金提供を行いました。
ちなみに、アメリカは、
イラン革命後の1979年に発生した、
イランアメリカ大使館人質事件により、
イランとの国交を断絶していたので、
イランに対する武器輸出は、
秘密裏に行われていたそうです。
ちなみに、
「統一教会」の教祖『文鮮明』も、ニカラグア左派政権打倒のため、
右派反政府組織「コントラ」に、約35億円の資金提供を行いました。
しかし、
反政府勢力「コントラ」は、
狂暴な一面を持ち、
反対する住民を生きたまま、眼球をえぐり出したり、
女性を強姦し、女たちの乳房を切り落したり、
赤ん坊を岩で、叩き潰したり、顔の皮を剥いだり、
少年の腹部を切り、腸を出したりと、
住民を面白半分に殺し、
切り取った首を棒の先に突き刺したりしていたそうです。
そして、これらの事は、1980年代のニカラグアでは、
普通の光景だったそうです。
そして、内戦は続いていたのですが、
革命の英雄『ダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ』が、
選挙により、
1985年、大統領となりました。
そして、1986年、国際司法裁判所は、
アメリカの反政府勢力「コントラ」支援を含む、
ニカラグアへの攻撃は、
国連憲章をふくむ国際法に、
違反とするという判決をしましたが、
アメリカは、反政府勢力「コントラ」支援を、続けました。
アメリカは、国際世論の対策として、
『サーレム・ビン・ラーディン』が、
「コントラ」支援資金をばれないように、手助けをしていました。
ちなみに、『サーレム・ビン・ラーディン』の弟は、
後日、アメリカと対立した、
国際テロ組織「アルカーイダ」の
『ウサーマ・ビン・ラーディン』です。
1988年、政府と右派反政府組織「コントラ」との間に、
暫定停戦合意が成立しました。
英雄『ダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ』は、
「みんなに平等な新しい国づくりを目指し、
人が人を殺すのを、
これ以上見るのは嫌なので、
死刑を廃止し、
旧勢力への暴力的な復讐は、しません。」と言っていたのに、
長い内戦中、アメリカの工作により、
多くの裏切りなどを経験し、
気持ちがすさんでしまい、
家族以外、誰も信じられなくなっていていたので、
反対者を、秘密警察を通じて、
誘拐、拷問などの徹底的な弾圧を行ったり、
大規模な私有財産の接収を行い、
自分のものにしたりしたので、
多くの知識人、富裕層が、アメリカに亡命しました。
中米一の繁栄を誇っていたニカラグア経済ですが、
内戦が、激しかった事と、富裕層が亡命したので、
もう二度と立ち直れない位に、壊滅的な崩壊となりました。(続く)
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