英雄が独裁者に代わる時ーニカラグア(1)
- 2020/12/11
- 05:05
アメリカの支配に対して、
『アウグスト・セサル・サンディーノ』が、
ゲリラ戦を繰り広げながら、
「自由な人々の将軍」と呼ばれ、
抵抗運動のシンボルとなり、
抵抗運動を行った結果、
アメリカ軍を、撤退させました。
ちなみに、
『アウグスト・セサル・サンディーノ』は、
コーヒー農園経営者『ドン・グレゴリオ・サンディーノ』と、
その農場で働いていた、
インディオの女中『マルガリータ・カルデロン』の間に、
私生児として生まれ、
後日、正式に認知されたそうです。
1934年、アメリカは、
『アウグスト・セサル・サンディーノ』を、暗殺する事を条件に、
親アメリカ政権になるなら、
アメリカが創設したニカラグア国家警備隊が援助すると、
コーヒー農園経営者の息子で、
ニカラグア国家警備隊隊長『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』と、
密約しました。
そして、『アウグスト・セサル・サンディーノ』を、暗殺し、
その後、『アウグスト・セサル・サンディーノ』を支持する、
「サンディニスタ」狩りを開始し、300人以上を、虐殺しました。
『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』を支持する
「青シャツ団」は、暗殺を賛美しながら、
各地で示威行動をしました。
『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』の妻の
伯父『サカサ』が、大統領でしたが、
最初は、暗殺や示威行動を、
強く非難しましたが、
それ以上の対処は、できず、
押し切られる形で、
『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』は、
国家警備隊司令官に任命されました。
そして、『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』は、
戒厳令を公布した後、
『アウグスト・セサル・サンディーノ』を支持する、
「サンディニスタ」の残党を、
妻子に至るまで次々と虐殺し、
批判するジャーナリストも、次々と誘拐、暗殺しました。
そして、
1936年、『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』が、
大統領選に出馬して、10万対108票で、圧勝し、
1979年まで、3代に渡る親米政権を樹立し、
独裁者として君臨したそうです。
ちなみに、
アメリカの目的は、
自由で民主的で親米的な政権を樹立する事ですが、
その事に関しては、
一番成功しているのは、日本だと言われています。
しかし、
『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』は、
アメリカの援助の元、大統領になった後、
好き放題の事をしたので、
新聞「ラ・プレンサ」が、
『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』の独裁政治を批判しました。
すると、1978年、
新聞「ラ・プレンサ」社長『ペドロ・ホアキン・チャモロ』が、
政府によって暗殺されました。
そのため、
国民の独裁政権への不満は、頂点に達したそうです。
そして、『アナスタシオ・ソモサ・ガルシア』に暗殺された、
反アメリカの指導者『アウグスト・セサル・サンディーノ』が由来で、
その遺志が、引き継がれた、
「サンディニスタ民族解放戦線 (FSLN) 」の
『ダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ』が中心となり、
市民たちが、武装蜂起しました。
そして、
1979年7月19日、
『アナスタシオ・ソモサ・デバイレ』大統領は、
アメリカの亡命し、独裁政治は終了しました。
そして、独裁者から国を解放した
「サンディニスタ民族解放戦線 (FSLN) 」の
英雄『ダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ』は、
首都マナグアに、集まった約20万の市民を前にして、
「これからは、
みんなに平等な新しい国づくりを目指します。
多くの意見を聞くために、独裁政治ではなく、
複数政党制を行います。
教育の充実、医療無償化、農地改革、
女性の社会参加を行います。
人が人を殺すのを、
これ以上見るのは嫌なので、
死刑を廃止し、
旧勢力への暴力的な復讐は、しません。」と言いました。
それを聞いた市民は、
英雄『ダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ』をたたえ、
「自由、ニカラグア万歳!」、「革命万歳!」と叫び歌い、
口笛を吹き、感涙の涙にあふれたそうです。
しかし、
第40代アメリカ大統領『ロナルド・レーガン』は、
キューバの社会主義革命をモデルにしているニカラグアが、
社会主義国の仲間入りしてしまう恐れがあったので、
ニカラグアを「西半球のガン」と呼んで、革命を敵視し、
自由で民主的な政権を作るという名目で、
強引に内政干渉する事にし、
アメリカは、経済援助を停止し、
CIAなどさまざまな組織を通じて、
旧ソモサ軍の兵士などを集め、
反政府勢力「コントラ」を組織し、
内戦が始まりました。 (続く)
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