『ハリー・ポッター』に出てくる『サラザール・スリザリン』のモデル-ポルトガルの独裁者(1)
- 2020/12/08
- 05:05
全巻、図書館で本を借りて、全シリーズ映画も観ました。
ちなみに、
現在も、秋田市立図書館(明徳館)で、色々な本を借りています。
秋田市立図書館(明徳館)では、以前までは2週間で、
7冊しか借りれなかったのが、
2020年9月より、10冊まで借りれるようになりました。
ちなみに、
沖縄にいる時も、那覇市立図書館で、
本を借りていましたが、
那覇市立図書館では、
2週間で、何冊でも読めるだけ借りる事が出来ました。
仙台市に住んでいる時は、
仙台市若林図書館に、よく行きましたが、
2週間で10冊、借りる事が出来ました。
『ハリー・ポッター』に登場する
純血の魔法使い『サラザール・スリザリン』は、
ホグワーツ魔法魔術学校の4人の創立者のうちの1人だそうです。
勇気を持つ者こそが、
最もすばらしいと考えた魔法と剣の達人の
『ゴドリック・グリフィンドール』も、
4人の創立者のうちの1人で
『サラザール・スリザリン』の親友だったそうです。
ちなみに、組み分け帽子は、
『ゴドリック・グリフィンドール』の帽子だったそうです。
4人の創立者のうちの1人の『ヘルガ・ハッフルパフ』は、
とりわけ勤勉な生徒を高く評価し、
どのような者にも、等しく魔法を、
教えるべきと考えたそうです。
4人の創立者のうちの1人の
『ロウェナ・レイブンクロー』は、
賢き者こそが、最もすばらしいと考えたそうです。
しかし、
『サラザール・スリザリン』は、
野望を抱く生徒を特に高く評価し、
差別意識がすごく、
ホグワーツ魔法魔術学校で、学ぶのは、
純血の魔法使いだけで、
マグル(普通の人間)に教えることに反対したのですが、
他の創立者たちの同意は得られず、
親友『ゴドリック・グリフィンドール』との激しい決闘で敗れた結果、
秘密の部屋にヘビの王バジリスクを隠し、
学校を去ったそうです。
ちなみに、バジリスクは、
スリザリンの継承者『トム・リドル(ヴォルデモート)』だけが、
操ることが出来たそうです。
ちなみに、
『トム・リドル(ヴォルデモート)』の母親『メローピー・ゴーント』は、
純血の魔女ですが、
父親『トム・リドル・シニア』は、マグル(普通の人間)だそうです。
母親『メローピー・ゴーント』は、
イケメンだが傲慢で礼儀知らずだった、
『トム・リドル・シニア』の虜になり、
魔法の「愛の妙薬」を使って、良い関係になり、
ロンドンで暮らして、子供を身篭ったそうです。
しかし、その数か月後、魔法が切れたので、
『トム・リドル・シニア』は、
妊娠中の『メローピー・ゴーント』を、棄てたそうです。
『メローピー・ゴーント』は、
『トム・リドル・シニア』を失ったショックから、
魔法を使えなくなり、生活が困窮したので、
マグル(普通の人間)の孤児院に飛び込んで、
男の子を出産し、
『トム・マールヴォロ・リドル』と名付けた後、
死亡したそうです。
『トム・リドル(ヴォルデモート)』は、
母親『メローピー・ゴーント』が、
純血の魔女であったにも関わらず、
自分を置いて死んでしまったことに、
失望していたので、
不死になる方法について、熱心に研究した結果、
魂を切り分けて、
別の場所を保存しておく魔術の分霊箱を知りました。
しかし、
魂を切り分けて、沢山の分霊箱を作ることで、
より不死に近くなりますが、
より多くの魂を切り分けると、
精神的、肉体的外見が、歪み、非情な怪物となるそうです。
そして、
分霊箱の魔術を行うためには、いけにえが必要だった事もあり、
分霊箱に、ほとんどの魔法高いは、手を出さなかったそうです。
ちなみに、魂の切り分ける回数は、
『トム・リドル(ヴォルデモート)』の、8個が最高だそうです。
『トム・リドル(ヴォルデモート)』は、
父親『トム・リドル・シニア』が、
棄てた妻子の行方を、
探そうともしなかった事が許せなかったので、
分霊箱の生贄にしたそうです。
ちなみに、
ホグワーツ魔法魔術学校のトイレに、
ゴーストとして取り憑いた、
『嘆きのマートル(マートル・エリザベス・ワレン)』は、
『トム・リドル(ヴォルデモート)』と同時期に、
ホグワーツ魔法魔術学校の
マグル(普通の人間)の女生徒だったのですが、
『トム・リドル(ヴォルデモート)』の分霊箱を作製するための、
生贄として、
バジリスクに、殺されたそうです。
差別意識が強い『サラザール・スリザリン』は、
ポルトガルの独裁者の
『アントニオ・サラザール』が、モデルだそうです。
『アントニオ・サラザール』は、
ポルトガルの小地主の家に生まれ、
熱心なカトリック教徒だったので、
18歳まで、高位の聖職者を目指して、
神学校で学んでいました。
『アントニオ・サラザール』は、
神学校で学んでいるうちに、
ポルトガルは、
聖職者が、ものすごく多い事を知り、
高位の聖職者になるには、
ものすごく大変な事だと気が付いたので、
還俗し、
コインブラ大学で、
経済学の学位を取得し、
コインブラ大学で、政治経済学の講師になりました。
そして、1918年から、
『アントニオ・サラザール』は、
コインブラ大学の政治経済学教授となりました。
『アントニオ・サラザール』の講義は、
面白くて、分かりやすく、生徒思いの優しい先生だったので、
多くの学生たちが、講義を聞きに来たそうです。
ポルトガルは、
第一次世界大戦に参戦し、
食糧危機などの社会不安が起き、
幾度かのクーデターと内閣崩壊を繰り返し、
政治不安が、続きました。
そのため、ポルトガル政府は、
信者が多い著名な政治経済学者『アントニオ・サラザール』に、
経済を立て直すために、
何度も、大臣への就任を要請しましたが、
『アントニオ・サラザール』は、
大学で、政治経済学を教える方が面白いという事で、
辞退していました。
1926年、クーデターにより、
『ジョゼ・メンデス・カベサダス』将軍を、
首班とする軍事政権が成立しました。
そして、
危機的財政となったポルトガルを立て直すための、
力を貸してほしいと、何度も要請が来たので、
押し切られる形で、
1926年、
『ジョゼ・メンデス・カベサダス』の政権に加わりましたが、
政情が不安定で、十分な仕事ができないと言って、
すぐに、辞職し、教職に戻りました。(続く)
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