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『ハリー・ポッター』に出てくる『サラザール・スリザリン』のモデル-ポルトガルの独裁者(1)

『J・K・ローリング』の『ハリー・ポッター』シリーズは、
全巻、図書館で本を借りて、全シリーズ映画も観ました。

ちなみに、
現在も、秋田市立図書館(明徳館)で、色々な本を借りています。

秋田市立図書館(明徳館)では、以前までは2週間で、
7冊しか借りれなかったのが、
2020年9月より、10冊まで借りれるようになりました。

ちなみに、
沖縄にいる時も、那覇市立図書館で、
本を借りていましたが、
那覇市立図書館では、
2週間で、何冊でも読めるだけ借りる事が出来ました。

仙台市に住んでいる時は、
仙台市若林図書館に、よく行きましたが、

2週間で10冊、借りる事が出来ました。

『ハリー・ポッター』に登場する
純血の魔法使い『サラザール・スリザリン』は、

ホグワーツ魔法魔術学校の4人の創立者のうちの1人だそうです。

勇気を持つ者こそが、
最もすばらしいと考えた魔法と剣の達人の

『ゴドリック・グリフィンドール』も、

4人の創立者のうちの1人で

『サラザール・スリザリン』の親友だったそうです。

ちなみに、組み分け帽子は、
『ゴドリック・グリフィンドール』の帽子だったそうです。

4人の創立者のうちの1人の『ヘルガ・ハッフルパフ』は、
とりわけ勤勉な生徒を高く評価し、

どのような者にも、等しく魔法を、
教えるべきと考えたそうです。

4人の創立者のうちの1人の
『ロウェナ・レイブンクロー』は、
賢き者こそが、最もすばらしいと考えたそうです。

しかし、
『サラザール・スリザリン』は、
野望を抱く生徒を特に高く評価し、

差別意識がすごく、

ホグワーツ魔法魔術学校で、学ぶのは、

純血の魔法使いだけで、

マグル(普通の人間)に教えることに反対したのですが、

他の創立者たちの同意は得られず、

親友『ゴドリック・グリフィンドール』との激しい決闘で敗れた結果、

秘密の部屋にヘビの王バジリスクを隠し、

学校を去ったそうです。

ちなみに、バジリスクは、
スリザリンの継承者『トム・リドル(ヴォルデモート)』だけが、
操ることが出来たそうです。

ちなみに、
『トム・リドル(ヴォルデモート)』の母親『メローピー・ゴーント』は、

純血の魔女ですが、

父親『トム・リドル・シニア』は、マグル(普通の人間)だそうです。

母親『メローピー・ゴーント』は、
イケメンだが傲慢で礼儀知らずだった、
『トム・リドル・シニア』の虜になり、

魔法の「愛の妙薬」を使って、良い関係になり、
ロンドンで暮らして、子供を身篭ったそうです。

しかし、その数か月後、魔法が切れたので、
『トム・リドル・シニア』は、
妊娠中の『メローピー・ゴーント』を、棄てたそうです。

『メローピー・ゴーント』は、
『トム・リドル・シニア』を失ったショックから、
魔法を使えなくなり、生活が困窮したので、

マグル(普通の人間)の孤児院に飛び込んで、
男の子を出産し、

『トム・マールヴォロ・リドル』と名付けた後、
死亡したそうです。

『トム・リドル(ヴォルデモート)』は、

母親『メローピー・ゴーント』が、
純血の魔女であったにも関わらず、
自分を置いて死んでしまったことに、

失望していたので、

不死になる方法について、熱心に研究した結果、

魂を切り分けて、
別の場所を保存しておく魔術の分霊箱を知りました。

しかし、
魂を切り分けて、沢山の分霊箱を作ることで、

より不死に近くなりますが、

より多くの魂を切り分けると、
精神的、肉体的外見が、歪み、非情な怪物となるそうです。

そして、
分霊箱の魔術を行うためには、いけにえが必要だった事もあり、

分霊箱に、ほとんどの魔法高いは、手を出さなかったそうです。

ちなみに、魂の切り分ける回数は、

『トム・リドル(ヴォルデモート)』の、8個が最高だそうです。

『トム・リドル(ヴォルデモート)』は、

父親『トム・リドル・シニア』が、
棄てた妻子の行方を、
探そうともしなかった事が許せなかったので、

分霊箱の生贄にしたそうです。

ちなみに、
ホグワーツ魔法魔術学校のトイレに、
ゴーストとして取り憑いた、

『嘆きのマートル(マートル・エリザベス・ワレン)』は、

『トム・リドル(ヴォルデモート)』と同時期に、

ホグワーツ魔法魔術学校の
マグル(普通の人間)の女生徒だったのですが、

『トム・リドル(ヴォルデモート)』の分霊箱を作製するための、

生贄として、

バジリスクに、殺されたそうです。

差別意識が強い『サラザール・スリザリン』は、

ポルトガルの独裁者の
『アントニオ・サラザール』が、モデルだそうです。

『アントニオ・サラザール』は、
ポルトガルの小地主の家に生まれ、
熱心なカトリック教徒だったので、

18歳まで、高位の聖職者を目指して、
神学校で学んでいました。

『アントニオ・サラザール』は、
神学校で学んでいるうちに、

ポルトガルは、
聖職者が、ものすごく多い事を知り、

高位の聖職者になるには、
ものすごく大変な事だと気が付いたので、

還俗し、

コインブラ大学で、
経済学の学位を取得し、

コインブラ大学で、政治経済学の講師になりました。

そして、1918年から、
『アントニオ・サラザール』は、
コインブラ大学の政治経済学教授となりました。

『アントニオ・サラザール』の講義は、

面白くて、分かりやすく、生徒思いの優しい先生だったので、

多くの学生たちが、講義を聞きに来たそうです。

ポルトガルは、

第一次世界大戦に参戦し、
食糧危機などの社会不安が起き、
幾度かのクーデターと内閣崩壊を繰り返し、

政治不安が、続きました。

そのため、ポルトガル政府は、

信者が多い著名な政治経済学者『アントニオ・サラザール』に、

経済を立て直すために、

何度も、大臣への就任を要請しましたが、

『アントニオ・サラザール』は、

大学で、政治経済学を教える方が面白いという事で、
辞退していました。

1926年、クーデターにより、
『ジョゼ・メンデス・カベサダス』将軍を、
首班とする軍事政権が成立しました。

そして、
危機的財政となったポルトガルを立て直すための、
力を貸してほしいと、何度も要請が来たので、
押し切られる形で、

1926年、
『ジョゼ・メンデス・カベサダス』の政権に加わりましたが、
政情が不安定で、十分な仕事ができないと言って、

すぐに、辞職し、教職に戻りました。(続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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