朝鮮半島情勢(65)-北朝鮮(17)-脱北(6)-クーデター(5)
- 2020/08/18
- 05:05
1990年頃より、スウェーデンやデンマークなどで、
海外で生活し、
外交官とその家族の思想教育業務や、
北朝鮮の広報活動を、積極的に行っていました。
1994年、『太永浩』が、外務省ヨーロッパ局勤務していた時、
北朝鮮の最高指導者『金日成』が、死去しました。
そのため、北朝鮮は、
最高指導者が死亡したので、政情不安になった上、
冷戦終結に伴い、ヨーロッパの共産国家からの援助が急減し、
天候不順もあって、食糧事情が、一気に悪化したそうです。
しかし、
新しく最高指導者となった
『金正日』の機嫌を損なうことが怖くて、
誰も国際社会に食糧援助を求めるべきだと、
進言することが出来なかったそうです。
すると、
『金正日』の子供『金正哲』や『金正恩』が、
スイスに留学していた当時、
海外での生活で、不安な気持ちになっている時、
相談に乗ったり、
親代わりとして、かわいがったりして、
色々と面倒を見ていた、
北朝鮮の駐スイス大使『李洙墉』が、
『金正日』とは、高校の時からの友人だったこともあり、
『金正日』の信任が厚くかったので、
「諸外国に事情を説明して、
食糧援助を受けた方が、良いのでは?」と、
『金正日』に進言し、食料援助を受けたそうです。
それを聞いて、『太永浩』は、
最高権力者の機嫌を損ねるような進言を、
行った勇気を見て、
心が熱くなり、
将来、進言がスムーズにできるような、
社会にしたいと考えたそうです。
ちなみに、その後、
『金正恩』が最高権力者になっても、
『李洙墉』が、
『金正恩』がスイスに留学していた頃の事を、
話すことがあったので、
『金正恩』は、自分の方が、地位が上なのに、
頭が上がらない気がして、
『金正恩』の叔父『張成沢』処刑後、
『張成沢』につながる残党という事で、
『李洙墉』は、
スイスに留学していた頃、
子供のようにかわいがっていた『金正恩』により、
左遷されました。
そして、
2004年に、『太永浩』は、駐英大使館の参事官となりました。
昔は、北朝鮮は、景気が良かったので、
海外勤務中の外交官の子どもの世話や
教育をしてくれる南浦革命学院がありましたが、
1990年頃より、北朝鮮の経済が悪化し、
南浦革命学院の運営が、困難になったので、
海外勤務に、子供を連れていきたいという人が増えたそうです。
『太永浩』には、子供が2人いましたが、
北朝鮮では、本来、海外出張には、
子供は、1人しか連れていけなかったのですが、
大学病院のような権威ある病院から、
虚偽の病歴書をつくってもらうという裏技で、
子供2人を連れて行ったそうです。
しかし、
子供を外国に連れて行っても、
子供が、物事が分かり、
海外の影響を受けやすくなる思春期近くなると、
子供を帰国させろという命令が来るので、
外交官たちは、
この時にも、裏技の仮病を、よく使ったそうです。
その後、
『太永浩』は、任期が終わり、北朝鮮に戻りましたが、
2013年に、イギリス大使館に、
公使として、赴任する事になりました。
その時、イギリス大使館公使『太永浩』の子供は、
長男は23歳、次男が16歳で、
原則的には、連れていけないところでした。
しかし、『金正恩』は、留学を経験していた事があり、
柔軟な発想を持つ若手を育てたいと思い、
優秀な若い人材を育てるために、
若者を外国に留学させるように指示しようとしましたが、
資金不足でした。
そのため、
『金正恩』は、
外交官の子供を、何人でも良いから、
留学させて人材を育てろ!と、指示を出しました。
イギリス大使館公使『太永浩』や北朝鮮外交官たちは、
熱狂的に歓迎したそうです。
そして、イギリス大使館公使『太永浩』は、
子供2人を連れていくことが、出来たそうです。
イギリス大使館公使『太永浩』は、長期の海外生活を通じて、
人々の生活やTV、映画、ドラマなどを見ながら
それまで知らなかった自由民主主義体制などを、
知るようになり、
自由民主主義体制に対する憧れが芽生え、
北朝鮮は、建前では、共産社会という主張しているが、
実際は、共産社会ではなく、
国民の事を考えず、
自分勝手で、残酷な最高権力者の金一族の世襲統治だと、
思うようになったそうです。
ヨーロッパで北朝鮮の資金を管理していた幹部が、
多額のお金を持って脱北したのですが、
これに対して、北朝鮮本国から、
イギリス大使館公使『太永浩』に、
迅速に見つけるよう強い圧力が、あったそうです。
イギリス大使館公使『太永浩』は、
今までの北朝鮮のやり方を見ているので、
見つけ出さなかったら、
処分対象になると考え、不安な気持ちになりました。
でも、北朝鮮以外の国では、このような事が無いので、
支配者の金一族の顔色ばかりうかがって、
国民を卑屈な気持ちにさせる北朝鮮は、
奴隷社会だと思いました。
そして、イギリス大使館公使『太永浩』は、
北朝鮮の奴隷社会が、とことん嫌になり、
イギリスやアメリカのCIAに相談して、
2016年に、韓国に脱北したそうです。
後日、『太永浩』は、脱北の時を聞かれて、
「妻や子供には、この瞬間からお前たちのために、
奴隷の連鎖を断ち切ると話しました。
でも、今では、どうしてもっと早く、
勇気を出して、脱北しなかったのかと、
後悔しています。」と言いました。
ちなみに、
公使は、大使に次ぐ序列で、
脱北した外交官の中では、最高位だそうです。
『太永浩』は、
北朝鮮では、最高権力を批判すると殺されますが、
韓国で、『朴槿恵』韓国大統領を批判しても、
殺されないという事や、
『朴槿恵』韓国大統領が逮捕されるという、
政治的混乱にもかかわらず、
国家システムが正常に機能している事や、
最高権力者『朴槿恵』に対して、
聴聞会で、鋭い質問をするのを見たりして、
北朝鮮では、絶対に、考えられなかった事を見て、
衝撃を受けたそうです。
そして、2020年、
『太永浩』は、北朝鮮の住民を救うという意味で、
韓国で住民登録した名前の『太救民』として立候補しました。
北朝鮮は、
立候補した『太救民(太永浩)』を、強く批判しましたが、
韓国の国会議員に当選しました。
そのため、『太救民(太永浩)』は、
北朝鮮の継続的な身辺の脅威にもかかわらず、
朝鮮半島の統一のために、活動を開始しました。
そして、『太救民(太永浩)』が、
国会議員に当選してから、
韓国の警察は、
首相級に準じた警護で、24時間態勢で護衛し、
食事の席でも食器などは、個別に検査したり、
移動の際も、複数の車が同時に動く形を取り、
『太救民(太永浩)』が、どの車に乗ったのか、
わからないようにしているそうです。
ちなみに、『太救民(太永浩)』は、
酒が好きで、焼酎「チャミスル」を、
脱北のストレスから、よく飲んでいたのですが、
妻から、沢山のお酒を飲んでいると
北朝鮮政権が、崩れるのを見られずに、
酒で死ぬと言われて、
お酒を減らしたそうです。
2017年、
アメリカのCIA長官『マイケル・リチャード・"マイク"・ポンペオ』は、
韓国を訪れ、
北朝鮮の『金正恩』体制への反乱煽動などについて、
『太救民(太永浩)』と協議した結果、
アメリカのCIAは、
北朝鮮の核とミサイルの脅威に対処するため、
「コリア・ミッションセンター」を、新設しました。(続く)
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