朝鮮半島情勢(55)-北朝鮮(8)-収容所(2)
- 2020/07/07
- 05:05
遺伝子操作で生まれた人々が、
徹底管理のゆき届いたコロニーで、
自分たちが、遺伝子操作で生まれたとは知らず、
みんな同じ白い服を着て、何も疑問を抱かずに、
暮らしていました。
しかし、
指定された地域以外は、汚染された地域で、
行くと死ぬと言われていました。
そして、コロニーより、
ものすごく快適な夢の国アイランドという所があり、
そこは、ものすごく幸せになる所で、
コロニーでは、毎日抽選が行われ、
運よく当選した人物だけが、
夢の国アイランド行きを許されて、
みんなの夢は、夢の国アイランドに行く事でした。
しかし、実際は、
当選して、アイランドへ行くと、
臓器を摘出されたり、
代理母として妊娠させられ、
出産後、殺されるのでした。
実は、
コロニーの外は、汚染されてなく、
コロニーの住人は、
保険会社のクライアントに臓器や
代理母を提供するためのクローンで、
幼い時の記憶でさえもプログラムで、
捏造されたもでした。
続きは、映画で…。
漫画「約束のネバーランド」も、
鬼の「人間飼育場」の話ですが、
詳しくは、漫画で…。
このような、
映画の話は、作り物と思うかもしれませんが、
実は、現在も、
映画よりひどい想像を絶する事が、
北朝鮮では、行われています。
1982年11月19日、『シン・ドンヒョク』は、
北朝鮮の収容所で、囚人の子として生まれました。
『シン・ドンヒョク』の父親は、
兄弟2人が韓国に脱北したことを理由に、
逮捕され、
『シン・ドンヒョク』の祖父と父親は、
「14号管理所」と呼ばれる、
政治犯強制収容所に、連行されたそうです。
「14号管理所」は、完全統制区域で、
約500k㎡に、約4万人が収容されていて、
炭鉱、セメント工場、セラミックやゴムの加工場、
縫製工場があり、
入っている囚人は、
死ぬまで強制労働を、させられるそうです。
その後、『シン・ドンヒョク』の父親は、
初対面の模範囚の女性囚人と表彰結婚したそうです。
表彰結婚とは、強制収容所で、
遅刻もせず熱心に働き、頻繁な密告を行い、
模範囚と認められると、
『金日成』や『金正日』の誕生日に、
無作為に選ばれた男女の模範囚が、強制的に結婚させられ、
数日間一緒に暮らし、子供をつくるそうです。
ただし、結婚しても、
そのまま夫婦が一緒に暮らすことは、認められず、
密告や労働などの仕事で、
大きな業績を残したたことを認められた場合にのみ、
会うことを許されたので、
ほとんど顔を合わせることは、ないそうです。
『シン・ドンヒョク』が、後日、報道機関から、
「両親は愛し合ってたと思うか?」と聞かれた時、
『シン・ドンヒョク』は、
「分からない。
家族や愛という意義は知らない。
私たちは家族ではなかった。
ただの囚人同士だった。」と答えました。
そして、表彰結婚で生まれた子供は、
強制労働の労働力としか、みなされないそうです。
収容所内で5年間の学校があり、1クラス約30人で、
各学年約2-3クラスあって、
生徒数は、400人以上いますが、
収容所の学校では、
命令が理解できるように、
最小限の読み書き、時計、
数字の数え方などの算術だけ学習しますが、
学習時間のほとんどは、
労働方法、密告方法などの収容所の規則を、
覚える事でした。
当然、
地理、歴史、科学、生物、美術、音楽など、
収容所生活に不必要な他の教科は、
全く教えないそうです。
それどころか、
北朝鮮の収容所の囚人は、
働くだけで良いので、
必要がないという事で、
収容所の学校では、
北朝鮮の歴史や指導者の名前も、
学ばないそうです。
そして、
収容所には娯楽はなく、
収容所で生まれた子供は、
お菓子、ジュース、漫画、小説、音楽、映画、
そして、インターネットどころか、
ラジオやTVなどの存在され、
知らないそうです。
食事は、1日、大人700g、子供300gのトウモロコシと、
ごく少量の白菜の塩漬けや白菜汁だけ。
体調が悪く労役ができない場合は、
食事は、半分に減らされたそうです。
常に空腹で、虫や雑草を食べたり、
無造作に置かれた囚人の死体を食べに来たネズミを、
捕獲して、焼いて食べる事が、
最大のごちそうだったそうです。
1991年頃、
学校で、保安省の制服を身につけた先生が、
持ち物検査を行いました。
すると、
『シン・ドンヒョク』の同級生の少女のポケットから、
5粒の小麦が、出てきました。
その日の午前中は、
学校の畑仕事だったので、
少女は、お腹がすいていたので、
後で食べようと思い、
つい、畑の小麦の粒を、
そっとポケットに入れていたのでした。
保安省の制服を身につけた先生は、
少女が、小麦を5粒盗んだと言って、
膝ずかせ、持っていた指揮棒で、
1時間以上、気絶するまで叩き続けました。
その後、少女は、家に運ばれましたが、
その日の夕方に、少女は、死にました。
しかし、
保安省の制服を身につけた先生は、
何でも出来る権利を持っていたので、
収容所では、日常茶飯事なことなので、
誰も何も言いませんでした。
公開処刑の時、
仕事を中断し、休息することができたので、
一番の楽しみだったそうです。
1985年頃に、
政治犯や経済犯ではなく、
昔の地主、資本家、犯罪者、
朝鮮戦争時の韓国軍協力者、
韓国の関係者とその家族を収容する「18号管理所」が出来て、
どのような基準だったのかは不明ですが、
「14号管理所」から、一部の人々に対して、
「18号管理所」への、移動命令が出ました。
そして、1988年頃、
『シン・ドンヒョク』とその家族は、
「14号管理所」から、「18号管理所」に移動となりました。
「18号管理所」は、「14号管理所」ほど、
過酷ではないのですが、殆ど大差はなく、
同様の重労働や虐待が行われ、
配給される食糧も少なく、栄養失調、病気、
労働事故により、子供を含めて多くの囚人が、
死亡していました。
『シン・ドンヒョク』は、6歳の時から、
石炭を運び出したりなどの重労働をしたそうです。
そして、
収容所の決まりで、12歳からは、
親元を離れて中学校に入学し、
他の子供たちと一緒に住む事になっていました。
中学校と言っても、
勉強をすることはなく、
雑草刈、農作物の収穫、こやしの運搬など、
働くだけでした。
日本では、勉強嫌いがいますが、
北朝鮮の収容所で住んでいれば、
勉強しなくても良いそうです。
だから、
日本で、勉強できることの有難さを知ってほしいです。(続く)
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