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朝鮮半島情勢(30)-韓国(20)-『全斗煥』(6)

大学生『朴鍾哲』死亡について、
警察の発表後、
新聞の東亜日報により、
大学生『朴鍾哲』の遺体は、
あざ、内出血、水で膨れ上がった胃などが認められるので、
拷問疑惑が疑われると報道したそうです。

そして、1月19日
警察は隠しきれなくなり、拷問の事実を認め、

「『チョ・ハンギョン』、『カン・ジンギュ』の2人の警察官が、
過度な職務意欲により、発生した不祥事だ。」と言って、

現場検証をせず、2人だけ逮捕し事件の沈静化を図りました。

その裏で、『バク・チョウォン』治安監は、

『チョ・ハンギョン』、『カン・ジンギュ』の2人の警察官に、
口止めをする代わりに、
早期釈放と家族の生活費の保証を約束をしたそうです。

1月20日、内務部長官『鄭鎬容(チョン・ホヨン)』は、

「まともな警察官が、人を殴れるわけがない。」と言って、
拷問の詳細を明らかにしませんでした。

しかし、
内務部長官『鄭鎬容(チョン・ホヨン)』は、
光州事件の特戦司令官だったので、

人々は、信頼できないと言って、

より、疑いが深まりました。

収監されていた『チョ・ハンギョン』、
『カン・ジンギュ』の2人の警察官と、

警察の同僚達が面会した時、

その会話を記録するために、
収監所の保安係長『アン・ユ』が、立ち会いました。

すると、
保安係長『アン・ユ』は、

他にも容疑者がいる事が分かり、
面談記録に残しました。

しかし、
しばらくたつと、
保安係長『アン・ユ』は、面談記録が発覚すると、
政府に睨まれると恐れて、記録を廃棄したそうです。

しかし、民主化運動関連で逮捕され、
同刑務所に収監中だった『イ・ブヨン』が、

記録が廃棄される前に、

その記録の内容を知ったので、

その内容を手紙を書いて、

心ある『ハン・ジェドン』刑務官、
『ジョン・ビョンヨン』刑務官らの協力を得て、

手紙を、刑務所外にいる
民主運動活動家の仲間に届けたそうです。

そして、
5月18日、
天主教正義具現全国司祭団『金勝勲(キム・スンフン)』神父が、

朴鍾哲拷問致死事件の警察の隠匿について、

真相を明らかにし、
正式に非難声明を、発表したそうです。

それをきっかけに、

国民の政権に対する不満と
民主化を求める声が、高まったそうです。

そのため、
警察の再捜査が行われ、
5月21日に、3人の警察の現場職員が、追加逮捕されました。

しかし、
警察上層部は、部下が勝手にやった事で、

上層部は、隠蔽指示を出していないと否定しましたが、

隠しきれず、

5月29日、警察中間管理職の『バク・チョウォン』治安監、
『ユ・ジョンバン』警正、 『パク・ウォンテク』警正が、逮捕されました。

ただし、
警察の最上層部の『姜玟昌』治安本部長は、

「警察の中間管理職が勝手にやった事で、

自分は、この件に関しては、後日知らされたので、

警察全体で見れば、関与していない。」と言って、
逮捕されませんでした。

しかし、反政府デモが、どんどん拡大していったので、

政府は、
6万人以上のデモ鎮圧を主な任務とする
戦闘警察を動員しました。

反政府デモ会場を封鎖したり、
デモの幹部を自宅軟禁したりして、
妨害しましたが、
全国18都市でデモが、拡大発生しました。

6月9日、
ソウル・新村の延世大学校で、
学生約1千人で、
6月10日に予定されている、
全国一斉の反政府デモ「6.10国民大会」の開催を、
準備をしながら、デモ行進をしていました。

そして、正門付近で、戦闘警察が、

デモを鎮圧しようとして、

本来ならば空中へ向けて発射すべき催涙弾を、

デモ隊へ向けて、発射しました。

すると、催涙弾が、
延世大学校2年生の『李韓烈(イ・ハンニョル)』の頭に当たり、
死亡しました。

そのため、
催涙弾の乱射に対する抗議デモになり、
韓国各都市に拡大し、

約20万人以上がデモに参加し、
幹線道路を占拠しました。

デモ隊の中心団体だった国民運動本部は、
『全斗煥』大統領ら政府と会談しましたが、
話し合いは決別し、

「6月民主抗争」と呼ばれる、
民主化を要求する、
約100万人を超える大規模なデモに、
拡大していきました。

警察署2箇所、派出所29箇所、市庁舎4箇所、
警察車両20台以上が、破壊され、
デモの参加者の約3千5百人が、逮捕されました。

最初、
『全斗煥』は、直接選挙制改憲など民主化には、
拒否していました。

しかし、
ソウルオリンピックの開催を、
1年後に控えていたのですが、

国際オリンピック委員会は、

「このままデモが続くと、

オリンピックは、ソウルではなく、

ロサンゼルスで、代わりに開く。」と声明を出しました。

ちなみに、名古屋ではないのは、
オリンピックの準備をしていないので、
急には開催が不可能ですが、

ロサンゼルスなら、ほとんど整備工事が無く、
開催が可能だったからだと考えられます。

しかし、
『全斗煥』は、
韓国の高度経済成長の成果を世界に誇示したいのと、

オリンピックの準備をしていたので、
中止になると、韓国の恥を、
全世界にさらす事になるので、

オリンピックが吹き飛ぶ事態だけは、
絶対に避けたいと考えました。

そして、
韓国の政権の後ろ盾となっていた
『ロナルド・ウィルソン・レーガン』アメリカ大統領が、

『全斗煥』に、親書を送って、

戒厳令宣布に反対すると共に、
民主化を促進するように言ったそうです。

そして、
1987年6月29日、
任期6年目で、最後の年だった『全斗煥』の

後継指名を受けた『盧泰愚』は、

ソウルオリンピックの成功裡終了を条件とした、

大統領直接選挙制の導入と、

『金大中』ら反体制派政治家、
政治活動家の赦免、復権を骨子とした、

「国民の大団結と偉大な国家への
前進のための特別宣言
(6・29民主化宣言)」を発表し、

民主化が、とうとう実現される事になりました。

そして、
民主化宣言で、激しいデモは、終息し、
ソウルオリンピックは、
無事、開催される事になりました。

そして、
1988年1月12日、
東亜日報に解剖医の日誌が公開され、

警察の最上層部の関与がばれて、

1月15日、『姜玟昌』治安本部長が、逮捕されました。

ちなみに、軍事政権に反対し、
民主化のため活動していた『朴鍾雲』を、

軍事政権から、守ったことにより、

大学生『朴鍾哲』は、死亡したのですが、

2000年、驚くことに、

『朴鍾雲』は、軍事政権の流れを汲む、

保守政党ハンナラ党に、入党したそうです。

当たり前ですが、それ以降、『朴鍾雲』は、
『朴鍾哲』の遺族や関係者とは、疎遠になったそうです。

ただし、『朴鍾雲』は、
国会議員選挙に3回連続出馬しましたが、
落選したそうです。

ちなみに、
2007年より、大学生『朴鍾哲』が、拷問され死亡した
治安本部対共保安分室(現:警察庁人権センター)が、
朴鍾哲記念展示室として公開されています。

2018年、下宿地のソウル冠岳区新林洞大学5道が、
「朴鍾哲通り」と命名され、
記念プレートが設置されたそうです。 (続く)
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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

海外14カ国を、旅しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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